神無月筑豊純情物語



  1.リベンジ北九州取材の旅とふたつの計画

9月の三連休で福井鉄道の取材旅行を計画した。
これは7月に行った富山、岡旅行を補完する意味合いが強かった。
富山、高岡旅行では北陸の3つの路面電車を取材した。
富山駅南口を中心に展開する富山地方鉄道市内軌道線、
富山駅北口から延びる元JR富山港線の富山ライトレール、
そして高岡駅から延びる加越能鉄道から転換した第三セクター万葉線。
しかし北陸にはもう一つの路面電車が存在した。
それが福井鉄道である。
福井鉄道は万葉線と同じく鉄道線と軌道線が繋がった路線である。
以前富山から北陸本線を旅して大阪まで行った時、
えちぜん鉄道の取材中に偶然田原町で見かけたことがあったが、
正式に取材したことがなかった。
そこで9月に福井鉄道を取材し、さらに帰りに寝台特急「北陸」に乗ったのである。
しかしこの旅は以前から企画していたものの、
きっぷの発売日である1ヶ月前の直前になって突然計画を変更した。
それはネットで偶然「旅名人の九州満喫きっぷ」を見つけたからである。
このきっぷは3回(人)分が\10,000で、
期間内ならいつでも利用可能というきっぷである。
しかもJR九州全線の快速を含む普通列車はもちろんのこと、
西日本鉄道、北九州モノレール、平成筑豊鉄道、福岡市地下鉄、甘木鉄道、松浦鉄道、
島原鉄道、南阿蘇鉄道、くま川鉄道、肥薩おれんじ鉄道、筑豊電気鉄道、長崎電気軌道、
熊本電気鉄道、熊本市交通局、鹿児島市交通局の全16社に及ぶ。
企画切符で地方鉄道とJRが利用できる切符などはあるが、
JR九州と競合関係にある大手私鉄の西鉄や路面電車まで、
一部のケーブルカーなどを除く九州全域の鉄道機関が利用できるというのは、
非常にエポックメーキングな切符といえる。
特に個人的に注目したのは、
路面電車の中で唯一一日乗り放題切符を発行していない筑豊電気鉄道が、
この企画に参加し、結果的に乗り放題切符を使えることである。
筑豊電鉄は法区分的には鉄道法の適用を受けているが、
かつて軌道法である西鉄北九州線に乗り入れていた経緯があり、
またこの区間は現在鉄道法に変えられているが、
今でも共用区間を走っているため路面電車型の車両も使われている。
そのため拙作「ライトレールの時代」では路面電車として分類している。
その取材がこの切符の登場によって思う存分出来るのである。
この「旅名人の九州満喫きっぷ」は2期が9月12日から11月末までで、
この機会を逃すわけにはいかない。
そこで急遽企画を変更してこの切符で筑豊電鉄の全駅取材を敢行し、
さらに帰りはまだ乗ったことのない寝台特急「富士」で東京まで戻ってくる。
この企画に変更して9月14日の1ヶ月前に寝台特急「富士」の寝台券を申し込んだ。
しかしこの時は寝台券は取れなかった。
そこでこの企画は現場判断で没とし、急遽前の企画に戻して福井旅行に切り替えた。
しかし筑豊電鉄を取材できる機会が11月末までという事実は変わらない。
そこで今回は9月から連続となるが、10月にも再び九州旅行の企画を立てた。
9月の時と同じく、飛行機で福岡まで行き、
1泊で筑豊電鉄の取材をして寝台特急「富士」で戻るというものである。
前回の時よりも少し現実的に時間を変更したが、
だいたいの予定は前回のままである。

10月17日(金)

05:47幕張−総武緩行線・上り515C(6)−05:53津田沼[7]
06:00津田沼駅南口※−空港リムジンバス(45〜75)−06:45〜07:15羽田空港[45〜15]
07:30羽田空港※−ANA241便(105/1:45)−09:15福岡空港[15]
09:30福岡空港※−福岡市営地下鉄空港線・下り131(6)−09:36博多[30] \250
 ※みどりの窓口で「旅名人の九州満喫きっぷ」\10,000購入
10:06博多−福岡市営地下鉄空港線・下り149(6)−10:09中洲川端[10]
10:19中洲川端※−福岡市営地下鉄箱崎線・上り162(10)−10:29貝塚[18]
10:47貝塚−西鉄貝塚線・下り1006(24)−11:11西鉄新宮[17]
11:28西鉄新宮−西鉄貝塚線・上り1103(5)−11:34和白[13]
11:47-48和白−香椎線(海の中道線)・下り741D(5)−11:53-12:00香椎[12]
12:12香椎−鹿児島本線・下り4339M(10)−12:22-25博多[37]
13:02博多※−篠栗線(福北ゆたか線)・上り6436H(57)−13:59直方[25]
 ※直方→筑豊直方徒歩移動
14:24筑豊直方※−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面94(1)−14:25感田[12]
14:37感田−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面96(2)−14:39遠賀野[12]
14:51遠賀野−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面98(2)−14:53木屋瀬[12]
15:05木屋瀬−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面100(1)−15:06新木屋瀬[12]
15:18新木屋瀬−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面102(2)−15:20楠橋[12]
15:32楠橋−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面104(2)−15:34筑豊香月[12]
15:46筑豊香月−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面106(2)−15:48土手ノ内[12]
16:00土手ノ内−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面108(2)−16:02筑豊中間[12]
16:14筑豊中間−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面110(1)−16:15東中間[12]
16:27東中間−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面112(1)−16:28通谷[11]
16:39通谷−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面114(2)−16:41西山[7]
16:48西山−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面2012(2)−16:50三ヶ森[8]
16:58三ヶ森−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面116(1)−16:59永犬丸[8]
17:07永犬丸−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面2014(2)−17:09今池[8]
17:17今池−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面118(2)−17:19森下[9]
17:28森下−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面120(1)−17:29穴生[9]
17:38穴生−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面112(2)−17:40萩原[8]
17:48萩原−筑豊電気鉄道・黒崎駅前方面124(4)−17:52黒崎駅前[20]
18:12黒崎−鹿児島本線・上り4132M(26)−18:39門司[50]
 ※「はやぶさ」到着、「富士」到着18:58、連結、出発19:15
19:29門司−鹿児島本線・下り4379M(6)−19:35小倉

 ※21:00ビジネスホテル YANAGIチェックイン

10月18日(土)

 ※08:10東ビジネスホテル YANAGIチェックアウト

08:28-32小倉−日豊本線・下り2820M(6)−08:38門司[39]
※「富士/はやぶさ」到着08:46、分離「はやぶさ」出発08:59、「富士」出発09:10
09:17門司−鹿児島本線・下り149M(27)−09:44黒崎[16]
10:00黒崎駅前※−筑豊電気鉄道・筑豊直方方面37(1)−10:01西黒崎[15]
10:16西黒崎−筑豊電気鉄道・筑豊直方方面39(1)−10:17熊西[15]
10:32熊西−筑豊電気鉄道・筑豊直方方面41(30)−11:02筑豊直方[63/1:03]
 ※筑豊電気鉄道車両取材
12:05直方※−平成筑豊鉄道伊田線・下り2229D(19)−12:24金田[35]
12:59金田−平成筑豊鉄道糸田線・下り1323D(13)−13:12田川後藤寺[17]
13:29田川後藤寺※−日田彦山線・上り958D(4)−13:33田川伊田[6]
13:39田川伊田−平成筑豊鉄道伊田線・下り2432D(44)−14:23行橋[35]
14:58行橋−特急「ソニック29号」(63/1:03)−16:01大分[42]
16:43大分※−寝台特急「富士」A寝台個室シングルデラックス(1035/17:15)−
 ※中津17:56-18:04(8)
 ※門司18:58-19:15(17)
 ※下関19:22-27(5)

10月19日(日)

−寝台特急「富士」シングルデラックス(1035/17:15)−09:58東京

前回は寝台特急「富士」に乗ることが出来なかったために予定を中止し、
別の計画に変更したが、
今回は筑豊電気鉄道の取材に主眼を置くために、
もし寝台特急「富士」の寝台券が取れなくても旅行自体は決行することにする。
しかし帰りも飛行機というのでは少々味気ない。
そこでもし寝台特急「富士」の寝台券が取れなかった場合には、
博多から東京まで、東海道・山陽新幹線で帰ってくることにした。
東海道・山陽新幹線は東京から広島まで入ったことがあるが、
その先は乗ったことがない。
そこでこれを機会に全区間完乗を目指すことにした。
しかし普通席に5時間以上座っているのはさすがに辛い。
そこで思い切ってグリーン車を使おうと思った。
しかも当然のことながら新登場したN700系のグリーン車に乗る。
調べてみると博多から東京までの乗車券は\13,440である。
これに新幹線「のぞみ」の特急券普通車指定席が\8,880で、合計\22,320である。
グリーン車で行く場合には「のぞみ」特急指定席券が\15,810で合計は\29,250となる。
差額は\6,930で決して小さな額ではないが、思い切って奮発してみようと思う。
さらに東海道・山陽新幹線全線完乗するならば、
博多−博多南間も乗っておきたい。
博多南駅は新幹線の車両基地に地元住民の要望で設置された駅で、
当然のことながら新幹線しか走らない区間であり、
特例で通常料金に\100を上乗せした額で利用できるのである。
これも抑えておきたいと思い、以下のような計画を立てた。

10月18日(土)

 ※08:10ビジネスホテル YANAGIアウト

08:28-32小倉−日豊本線・下り2820M(6)−08:38門司[39]
※「富士/はやぶさ」到着08:46、分離「はやぶさ」出発08:59、「富士」出発09:10
09:17門司−鹿児島本線・下り149M(27)−09:44黒崎[16]
10:00黒崎駅前※−筑豊電気鉄道・筑豊直方方面37(1)−10:01西黒崎[15]
10:16西黒崎−筑豊電気鉄道・筑豊直方方面39(1)−10:17熊西[15]
10:32熊西−筑豊電気鉄道・筑豊直方方面41(30)−11:02筑豊直方[63/1:03]
 ※筑豊電気鉄道車両取材
12:05直方※−平成筑豊鉄道伊田線・下り2229D(19)−12:24金田[35]
12:59金田−平成筑豊鉄道糸田線・下り1323D(13)−13:12田川後藤寺[17]
13:29田川後藤寺※−日田彦山線・上り958D(4)−13:33田川伊田[1:06]
14:39田川伊田−平成筑豊鉄道伊田線・下り2434D(45)−15:24行橋[20]
15:44行橋−日豊本線・上り538M(26)−16:10城野[17]
16:27城野−日田彦山線・下り965D(8)−16:35志井公園[33]
17:08企救丘※−北九州高速鉄道146(20)−17:28小倉[20]
17:48-50小倉−鹿児島本線・上り174M(6)−17:56門司[93/1:33]
 ※「はやぶさ」到着門司18:46、「富士」到着18:58、連結、出発19:15
19:29門司−鹿児島本線・下り4379M(6)−19:35小倉

 ※21:00ビジネスホテル YANAGIイン

10月19日(日)

 ※08:10ビジネスホテル YANAGIチェックアウト

08:28-32小倉−日豊本線・下り2820M(6)−08:38門司[39]
※「富士/はやぶさ」到着08:46、分離「はやぶさ」出発08:59、「富士」出発09:10
09:17門司−鹿児島本線・下り149M(36)−10:53博多[36]
11:29博多※−博多南線・下り633A(10)−11:39博多南[28]
12:07博多南※−博多南線・上り648A(10)−12:17博多[43]
13:00博多※−東海道・山陽新幹線「のぞみ30号」(313/5:13)−18:13東京[52] \29,250
 ※N700系、グリーン車指定席
19:05※東京−総武快速線・下り1929F(40)−19:45千葉[12]
19:57千葉※−総武緩行線・上り1965B(9)−20:06幕張

当然のことながら、10月17日土曜日の予定はそのまま一緒だが、
18日土曜日は大分まで行く必要がないために、
寝台特急「富士」の門司での連結シーンを取材して小倉のホテルに連泊し、
再び朝の門司での「はやぶさ」と「富士」の分離シーンを取材してから博多南を取材し、
13:00ちょうどに博多を出発するN700系で東京まで戻る計画を立てた。
この計画では小倉に連泊すると共に、
帰りの新幹線では奮発してグリーン車を使用することとした。
博多から東京まで5時間13分、さすがに普通席ではかなりしんどい。
グリーン席なら快適だし、寝台特急を使うことを考えればそれほどの予算オーバーでもない。
そして9月18日木曜日、会社に行く前に10:00a.m.ちょうどにJR幕張駅の“みどりの窓口”に行って、
寝台特急「富士」の乗車券、寝台券を購入する。
今回は何とか購入することが出来た。
駅員に「A寝台個室“シングルDX”はあと6席しかない」と云われた。
それでも予定通りに購入できて良かった。
さらに稲毛に行ってから“みどりの窓口”で、
行橋−大分間の特急「ソニック29号」の乗車券、特急券を購入する。
これで予定通り最初の計画で全てのチケットが購入できた。
これに合わせてるるぶホームページから“ビジネスホテル YANAGI”に、
10月17日金曜日から1泊で予約を入れる。
これで準備は万端だ。
しかしこの予定は直前になってまたもや大きく崩れてしまうことになる。

2008/10/24 10:44


  2.予定変更と仁義なき戦いのtake off−旅の始まり

旅行予定の前日になって、想定外の事態が起きた。
この1ヶ月後に予定しているリフレッシュ休暇による北海道の旅の、
帰りの寝台券が入手できなかったのである。
予定では11月16日日曜日に札幌から、
寝台特急「トワイライトエクスプレス」か「北斗星」で帰ってくるつもりだったが、
どちらも寝台券を取ることが出来ず、17日月曜日に寝台券を取ることになってしまった。
つまりその1ヶ月前は、旅行初日にあたる。
寝台券は発売後直ぐに完売してしまうため、
10:00a.m.ちょうどに“みどりの窓口”に並ぶ必要がある。
予定では福岡空港に09:15に到着し、
福岡市営地下鉄空港線で博多駅まで行くことになっている。
ここの“みどりの窓口”で「旅名人の九州満喫きっぷ」\10,000購入し、
10:06博多発の福岡市営地下鉄空港線で中洲川端経由で貝塚まで行く。
しかし“みどりの窓口”に10:00a.m.ちょうどに並んだのでは、
どう考えても10:06博多駅を発車する地下鉄には乗れない。
どれくらい手間取るかはわからないが、
20分から30分くらいの余裕を見ておいた方がいい。
そうするとそのあとの予定が大幅に狂うことになる。
前日の夜に少しシミュレートしてみたが、
香椎から鹿児島本線下りで博多まで戻り、
ここから篠栗線(福北ゆたか線)で直方まで行き、筑豊電気鉄道の取材に入るのでは、
取材時間が大幅に減ってしまい、予定通り全駅取材が困難になるかもしれない。
そこで香椎から直接鹿児島本線上りで黒崎まで行き、
黒崎から筑豊電気鉄道の取材に入る方がいい。
それなら黒崎駅でコインロッカーに荷物も預けることが出来て、
身軽に取材できるというメリットもある。
綿密な計画を作ろうと思ったが、時間がなかったために断念した。
翌日は05:47の電車に乗らなければならない。
普段の仕事が遅番のために早起きは苦手である。
だから早く寝た方がいいと思い、早く寝た・・・つもりでいた。
しかし、寝坊してしまったのである。
予定では4:50a.m.に起きるつもりで目覚ましもセットしたのだが、
無意識のうちに止めて寝てしまったらしい。
体はまだ完全に睡眠を要求している。
それでも5:20a.m.くらいに気付いて慌てて起き、速攻で支度をしてなんとか05:47に飛び乗る。
津田沼駅に行くとすでに空港行きのリムジンバスはバス停に停車していた。
JR津田沼駅から京成津田沼駅を経由して約45分から交通渋滞によっては75分くらいで羽田空港に到着する。
片道\1,200でJRとモノレールを使うよりは多少割高だが、
出発ロビーに横付けしてもらえるし、それに乗り換えの面倒もない。
もちろん時間的にも短縮になるので、朝早い便だったので利用した。
直ぐに手荷物検査を通過して61搭乗口に行く。
平日だったためにバスが多少、湾岸線で渋滞に捕まったが、それほど大きな遅れにはならなかった。
空港の売店で「帆立ごはん弁当」\1,000とお茶などを買い、
待つ間にロビーのベンチで喰う。
しかし喰っている途中で優先搭乗が始まり、喰い終わらないうちに一般搭乗が始まってしまった。
慌てて喰ってSkipで搭乗する。
やはりリムジンバスの遅れが影響してしまったらしい。
ANA241便は予定通り07:30に搭乗を締め切り、羽田空港を飛び立った。
本当ならこれからどんな取材になるのか楽しみで一杯のフライトの筈だが、
寝台券購入というミッションがあるので今ひとつ不安があって空の旅を楽しめない。
ドリンクサービスでは何時ものようにコンソメスープを頼み、
機内音楽サービスで特集していた竹内まりやをずっと聴いている。
彼女の曲は比較的身近にあるように感じられる設定が多く、それだけに共感を得やすい。
特に「駅」という曲は秀逸だ。
中森明菜のアルバム「クリムゾン」のために書き下ろされた楽曲だが、
叙事詩の中に主人公の気持ちが上手く表現されている。
竹内まりやでベスト3を挙げるのなら、
「駅」のほかに「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」と「元気を出して」だ。
そんなことを考えているうちに再びベルト着用サインが点灯し、
ほぼ予定通り、09:15に福岡空港に着陸した。
飛行機を降りて地下鉄\250で博多駅に向かう。
福岡市営地下鉄は何故か料金設定が高い。
2駅、3.3kmで\250もする。
これが東京メトロだったら、東西線の場合、
西船橋から2駅目の妙典は4.0kmで\160である。
何故こんな高い設定なのだろうか。
そんなことを考えているうちに博多駅に着いた。
少しと迷って“みどりの窓口”を見つける。
ここから寝台券購入のための仁義なき戦いが始まるのである。

2008/10/28 3:09

画像:ANA241便の窓から見た空と雲 撮影時刻 2008/10/17 08:28:21


  3.勝利と敗北の折衷案−3人の外国人

博多駅の“みどりの窓口”でまず「旅名人の九州満喫きっぷ」\10,000購入する。
これは九州のJR、大手中小私鉄、路面電車、市営地下鉄など、
一部のケーブルカーなどを除いてほぼ全ての鉄道が利用できるという切符である。
利用回数は3回で、これは期間内なら連続しなくてもいい。
また3人が同じ行程を利用するなら1枚の切符で3人でも使える。
最初に入場する時に駅で検印を押して貰う。
ちょうど「青春18きっぷ」の様なタイプの切符である。
ただ、利用エリアが九州内に限られることと、
JRだけでなく九州のほぼ全部の鉄道で利用できるということが大きく異なる。
本来は競合する筈の鉄道が同じ切符で利用できるというのは素晴らしい。
この切符を企画し、実現したJR九州の責任者には賞賛の拍手を送りたいと思う。
この切符を購入してまず博多駅の有人改札で検印して貰う。
しかし今回はいきなり地下鉄を利用するためにそのまま改札は通らずにUターンする。
これはJRの切符のためにその他の鉄道では発売していない。
そこでまずJRで検印して貰った。
そして缶コーヒーを飲みながらちょっとブレイクし、時間を調整した。
いよいよ寝台券の購入作戦の開始である。
「旅名人の・・・」を購入するために並んで、だいたい列の感じからどれくらいの時間かを計った。
窓口の数も多いが、それ以上に利用客も多い。
だいたい3分から5分くらいで番が回ってくる。
ただ、客がいろいろと注文を付けたりつまらない質問をすると時間がかかる。
その辺を見越して頃合いを見計らって窓口に並ぶ。
しかし並んでいる途中で10:00a.m.の時報が鳴ってしまった。
この時間は1ヶ月先の指定席の発売時間でもあるため、博多駅では時報が放送される。
結局窓口にたどり着けたのは10:01a.m.になった。
早速係員に事前に書いてきた用紙を渡し、
11月17日の「北斗星」の“ロイヤル”の空席状況を見て貰った。
しかし無情にも「満席ですね・・・」と云われてしまった。
とほほ・・・。
やはり駄目だったか。
仕方がないので第4案として準備していた札幌から前日に函館まで「スーパー北斗」で移動し、
函館で1泊してここからは別料金で「スーパー白鳥30号」で青森まで出て、
18:08青森始発の寝台特急「あけぼの」のA寝台個室シングルデラックスで上野まで帰る予定に切り替えた。
「あけぼの」のA寝台個室は“A1”で、「北斗星」の“SA1”とは一つグレードが落ちる。
しかし新幹線で帰ってくるのは味気ないので、
やはりどうしても寝台特急で帰ってきたいため、この案を用意した。
しかし用紙を差しだそうとしたところ、
係員がマルスを叩きながら「ツインデラックスなら空いていますが、どうしますか」と云われた。
一瞬迷ったが、この際だから「お願いします」と云ってしまった。
“ツインデラックス”は「北斗星」のA寝台2人用個室でグレードは“A2”になる。
つまり“シングルデラックス”の2人用バージョンといえる。
個室にはシャワーなどの設備もなく、当然ウエルカムドリンクやモーニングサービスもない。
普通のA寝台となってしまう。
しかしそれでも「北斗星」であることは変わりないし、2人分のスペースを独り占めできる。
その分寝台料金、特急料金は2人分を払うことになるが、
会社からの資金援助がある今回の旅でなければこういう贅沢は出来ない。
そこでこの部屋を押さえることにした。
まあ、今回は「北斗星」が取れたと云えば勝利だが、“ロイヤル”が゛取れなかったと云えば敗北ともいえる。
その妥協案ということであまりスッキリはしなかったが、
それでも次回の「リフレッシュ休暇北海道一周の旅」の予定が全て決定した。
JR九州の係員のために“札幌→幕張”で乗車券を購入しようと思ったが、
時刻表を見て一生懸命マルスを叩いていた。
札幌から上野までの経由は自分のノートにメモしてあったみたいだが、
上野から幕張までのルートがわからなかったらしい。
そこで「総武線で幕張まで帰ります」と教えてあげた。
このあと「北海道フリーパス」の5回目、6回目の特急指定席も予約し、今回のミッションを終了した。
終わってから福岡市営地下鉄で中洲川端まででて、そこで乗り換えて貝塚まで行く。
予定では10:06の博多発の電車に乗るつもりだったが、10:14になってしまった。
貝塚で駅取材してから西鉄貝塚線に乗る。
西鉄貝塚線はもともと“宮地岳線”と云ったが、西鉄新宮から津屋崎までの区間が廃止されたため、
“貝塚線”に名称が変更された。
西鉄の本線格である“天神大牟田線”とは接続しておらず、
しかも天神大牟田線が標準軌であるのに対し、貝塚線はJR在来線などと同じ狭軌である。
これは設立の経緯による違いである。
貝塚駅での駅取材を短縮して予定の時間に追いつく。
10:47貝塚駅発の下り列車で終点の西鉄新宮まで行き、ここで列車の折り返しを待て和白まで戻る。
西鉄新宮では3人の外国人の老人がカメラを持ってしきりに電車を写していた。
こちらを見て「Friend!」と云っていた。
近くで“日本オープンゴルフ選手権”が行われており、
その客が珍しい電車の写真を撮っているだけかと思ったが、
そのまま一緒に電車に乗り込み、いろいろと話しかけてきた。
しかしNOVAには通っていなかったので英語が全くわからず、愛想笑いをするしかなかった。
しかし彼らの会話を聞いているとどうも西鉄の電車のことを話しているらしい。
和白駅で313形が通るとそのことを話し始めた。
600形と313形の違いもちゃんと認識しているらしい。
和白駅で下車する時には「bye-bye!」と挨拶する。
おいらだってそれくらいの英語はわかる。
和白駅で西鉄とJRの駅取材をしてから11:47の電車を待って香椎まで行く。
しかし香椎駅に着くとさっきの外国人がいて、通過する貨物牽引の電気機関車を狙っていた。
貝塚線で香椎まで先回りしたのだろう。
しかし通過する貨物列車を狙うということは、そのダイヤを把握していたということか。
貨物列車は旅客扱いではないために一般に時刻表が公表されていない。
それでも定期列車はだいたいの時間で察しがつく。
しかし外国人観光客がそれを把握するのは用意のことではない筈だ。
もし事前に調べてきていたとしたら、恐ろしく日本の鉄道に詳しい人たちだ。
驚愕を持ってその外国人たちを見ていた。

2008/10/28 11:20

画像:西鉄貝塚線西鉄新宮駅と西鉄600形 撮影時刻 2008/10/17 11:17:07


  4.筑豊電気鉄道の概要と未完の駅取材

筑豊電気鉄道は黒崎駅前から筑豊直方までの鉄道線を所有する地方鉄道で、
西日本鉄道の100%子会社である。
かつて西日本鉄道が北九州線を運行していた時代には、
熊西から黒崎駅前は同線に乗り入れを行っていたが、
2000年11月26日に北九州線が廃止されると、
この区間を軌道法から鉄道法の切り替え、
筑豊電気鉄道が第2種鉄道事業者、西日本鉄道が第3種鉄道事業者となった。
鉄道事業法では鉄道事業者を3種類に分けていて、
自ら敷設した路線に列車を走らせて事業を行うものを第1種鉄道事業者、
他社の敷設した路線や営業路線に乗り入れを行うものを第2種鉄道事業者、
自社の路線に他車を乗り入れさせるものを第3種鉄道事業者という。
筑豊電気鉄道の路線は、北九州市から筑豊を経て福岡に至る路線として計画され、
それが途中の筑豊直方で断念され、現在の形になった。
この区間の路線は明治時代から幾つかの鉄道会社が計画したが、
いずれも実現せずに免許が失効している。
最初に計画したのは九州電気軌道で、1911年から工事を着工し、
1914年に後の西鉄九州線になる門司−折尾間を完成させたが、
その先の路線は社長による不正手形事件などの影響で中断した。
これを引き継ぐ形で博多湾鉄道汽船が現在の西鉄貝塚線の延長路線として、
1941年10月、黒崎−福岡間を“筑豊電気鉄道”の名で出願したが、
翌年に九州電気軌道が福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道の4社を合併、
社名を西日本鉄道に変更した。
この計画は戦時中にも何度か出願されたが何れも却下となり、
戦後1950年に漸く免許が交付され、
翌年2月15日に「筑豊電気鉄道」が設立された。
1956年3月21日に貞元(現・西熊)−筑豊中間間が開業した。
また貞元から黒崎駅前までは既に九州電気軌道によって敷設されていた北九州線に乗り入れた。
1958年4月29日には木屋瀬まで延伸、1959年9月18日に筑豊直方まで延伸した。
この先も延伸して最終的には博多まで至る予定だったが、
八木山峠が立ちはだかっており、トンネルを掘る資金が捻出できずに延伸を断念した。
筑豊直方−福岡間は1971年7月に免許が失効している。

香椎駅には予定通りの時間で着いたが、
黒崎駅前から取材を開始した方が駅のコインロッカーが利用できるので便利である。
そこで駅取材後に鹿児島本線上り電車に乗り込んで黒崎を目指す。
しかし途中に折尾駅があり、そこで急遽下車する。
ここも一度は訪れてみたいと思っていた駅である。
ホームには名物駅弁「かしわめし」の立ち売りのおじさんがいた。
雑誌などでも幾たびも紹介される駅弁界では有名人である。
また駅舎も大正時代の1916年に完成したものがそのまま残っており、
これもいつかは取材したいと思っていたのだ。
折尾で途中下車のあと、再び鹿児島本線上りで黒崎まで行く。
ここで留置してあった電気機関車などを取材し、いよいよ筑豊電気鉄道の取材を開始する。
その前にコインロッカーに荷物を預け、
「山笠黒崎うどん店」でえび天うどん\400を喰う。
筑豊電気鉄道黒崎駅前から西黒崎を飛ばして熊西から各駅を取材していく。
黒崎駅前−熊西間は軌道線だった北九州線に乗り入れていると聞いていたため、
併用区間か、道路の脇に専用線があるようなものかと思っていたが、
完全に独立した専用路線であり、他の区間と外見上は変わらなかった。
萩原、穴生、森下、今池、永犬丸、三ヶ森、西山、通谷、東中間、筑豊中間、希望が丘高校前、筑豊香月と取材していく。
筑豊電気鉄道線の駅はどちらかというと電停に近い形だが、
穴生は高架上にホームがあり、外見上は普通鉄道の駅と変わらない。
この地域は地形の起伏が激しく、完全に地上に線路を這わすのが無理なのかもしれない。
楠橋は車両基地があるため、少し時間をかけて取材したいので明日にまわし、
新木屋瀬、木屋瀬と取材したところで時間的、光量的に限度と判断し、
一端筑豊直方まで行き、そこから始発で黒崎駅前まで戻る。
結局、5駅を取材できずに明日に回してしまった。

2008/10/29 1:31

画像:筑豊電気鉄道森下駅付近の踏切を渡る2000形2001号車 撮影時刻 2008/10/17 14:27:09


  5.寝台特急「はやぶさ」と「富士」−離合の夜と朝

黒崎でコインロッカーから荷物を取り出し、
鹿児島本線上り列車で門司まで行く。
ここで東京に向かう寝台特急「はやぶさ」と「富士」の連結シーンを取材する。
筑豊直方ではまだ多少太陽光は残っていて、
辛うじて自然光で十分に写真を撮れる状態だったが、
門司に到着した時には既に夜の帳が降りていた。
熊本を出た寝台特急「はやぶさ」が門司に到着するのは18:46、
乗客を降ろしたあと一端回送される。
18:58に大分から来た寝台特急「富士」が到着し、
牽引機を分離してそこにバックで「はやぶさ」を入線させて連結させ、19:15に門司を出発する。
「はやぶさ」も「富士」も熊本、大分から門司までは交流専用機のED76形を使用するが、
門司から下関は関門トンネル専用の塩害対策済みのEF81形400番台が使用される。
下関で直流専用機のEF66形に付け替え、山陽本線、東海道本線の夜間運転が行われ、
翌朝東京に到着することになる。
明日は「富士」に乗って門司に来ることになるが、
今日は事前に先回りして到着する様子から取材することにしたのだ。
停車時間に慌てて取材するのとは違って、
先回りして入線シーンから撮影し、出発シーンまで撮影できるのはいい。
ただ、完全に夜間撮影になっていたため、
絞りやシャッタースピードとISOの設定には苦労した。
二つの寝台列車の連結と出発シーンを取材し、そのあと隣り駅の小倉まで行く。
ここで「ビジネスホテルYANAGI」に予約をしているのだが、
ホテルに行く前に夕食を喰うことにする。
小倉駅の駅ビルの小倉ひまわり通りの中にある、
「小倉らうめん横丁」というラーメンテーマパークに行く。
ここは尾道ラーメン「麺家味の蔵」、筑豊ラーメン「ばさらか」、久留米ラーメン「麺屋吉蔵」、
とんこつしぼり「桜吹雪が風に舞う」、札幌ラーメン「さんぱち」の5店舗が入る。
やはり九州に来たからには九州の、
しかも筑豊エリアを取材したからには筑豊ラーメンを食べるべきだと思い、
筑豊ラーメン「ばらさか」に入る。
ここは以前に小倉に来た時も入った記憶がある。
オーダーは田舎ラーメン\750。
ここは池袋ラーメン名作座で初めて食べて、
そのあと九州に旅行に来た時に小倉でここに入ったことがあり、
今回は「ばらさか」3回目である。
同じ北九州の博多とんこつラーメンに似ているが、
少し違う味覚が残る気がする。
料理に詳しくないので、味だけで原材料を言い当てられないが、
とんこつに何かが加えられているような気がする。
勿論、それは好みがあるので好きな人と受け入れられない人とがいると思うが・・・。
喰い終わってから「ビジネスホテルYANAGI」にチェックインする。
荷物をホテルに置いてから小倉駅に夜撮に出る。
それから駅の売店で駅弁「かに寿司弁当」\920購入し、
改札の外に出てkioskやコンビニでビールやつまみなどを買ってホテルに戻り、
弁当を食いながらビール飲み、11:00p.m.頃寝てしまう。
翌朝は6:00a.m.にモーニングコールをセットしたのだが、
早く寝たせいか5:50a.m.頃に目が覚める。
ホテル1階の食堂でモーニングを喰い、部屋に戻って歯を磨いてからチェックアウトする。
ここはバイキング方式ではなく、一人分ずつ出してくれる形式である。
小倉駅を「旅名人の九州満喫きっぷ」2回目で入場し、
そのまま門司に行って東京から来た「はやぶさ」、「富士」の分離シーンを取材する。
昨日18:03に東京駅を出た「はやぶさ」「富士」はEF66型電気機関車に牽引され、
東海道本線、山陽本線を夜通し走って翌朝08:32に下関に到着する。
ここで牽引機をEF81型に付け替えて関門トンネルを潜り、
08:46にこの門司駅に到着する。
早めに門司に行って車両取材などをしながら到着を待つ。
留置線にEH500型電気機関車の重連が入線してきてそれを取材する。
EH500型はもともと連結機関車のため、それが重連だとさすがに迫力がある。
時間になって関門トンネルから上がってくるEF81型が見える。
EF81型は1区間しか牽引しないため、ヘッドマークを掲示していない。
4番線に入線した「はやぶさ」「富士」はジャンパ栓が外されて分離準備に入る。
その間に牽引機がEF81型からED76型に付け替えられて、
進行方向前寄りにある「はやぶさ」が一足先に出発する。
08:59に「はやぶさ」が熊本に向けて鹿児島本線を出発したあと、
11分遅れて「富士」がED76型に牽引されて日豊本線を大分に向かう。
「富士」を見送って09:17発の電車で黒崎まで行く。
ここでEF81型451号機が留置されていてそれを取材する。
EF81型450番台はEF81型400番台と同じく、
関門トンネル通過時の塩害対策済みの電気機関車で、JR貨物が新造した車両である。
このあと筑豊電気鉄道の補完取材に入る。
昨日取材できなかった電停と車両取材をして筑豊直方からJR筑豊駅へと向かう。

2008/11/08 21:57

画像:EF81型400番台の機関車を連結した「はやぶさ」「富士」 撮影時刻 2008/10/17 19:16:49


  6.time overの筑鉄取材と「へいちく浪漫号」の旅

黒崎駅に降り立って筑豊電気鉄道の取材を開始する。
まずは黒崎駅前の隣の西黒崎を取材する。
ホームから隣のホームが見える程、距離が近い。
まず国産のページへで下車して電停取材するが、さすがにここで下車したのは一人だった。
この次は楠橋に行くが、ここは車両基地も兼ねていて、
昨日は十分に取材するために自然光で十分に撮影できる今日に回したのだ。
筑豊電気鉄道では路面電車形の2連接3000形が主流だが、
西鉄の旧型車両を購入して改造した3連接2000形が取材できた。
下り列車で2000形を見かけたので、筑豊直方で折り返してくるのを待って取材したため、
少し時間を喰ってしまった。
このあと遠賀野、感田と電停取材し、最後に筑豊直方を駅取材する。
ここから徒歩でJR直方まで歩く。
事前に地図を印刷して持参したために迷うことはなかったが、
それでも少し息が上がってしまった。
日頃の運動不足がこういうところに出てしまっているのかもしれない。
筑豊直方を出たのが予定より押してしまったため、
JR直方に着いたのも遅くなり、
駅取材してから12:05の平成筑豊電鉄に乗って金田に行く予定だったが、
結局1本あとの12:30の田川後藤寺行きに乗ることになってしまった。
仕方がないので金田での乗り換えを諦めてそのまま田川後藤寺まで行こうと思ったが、
金田で9分間の停車時間があったため、この間に駅取材を強行した。
駅には「金田食堂」という駅前食堂があったが、
9分では食事をしている暇がなかったためここでの昼食は断念する。
直方から乗った列車は金田で1本前の列車で金田駅を35分かけて取材し、
ここで乗り換える予定だった列車で、ここで押していた予定を取り返したことになる。
金田での停車時間で駅取材をしてからそのまま終点の田川後藤寺まで行く。
ここはJR日田彦山線と接続しており、17分の乗り換え時間の間で駅取材をして、
さらに車両取材を十分に時間をかけて行った。
ここからJR日田彦山線で隣の田川伊田に行き、
ここで6分の乗り換え時間で再び平成筑豊鉄道に乗り換えて終点の行橋まで行く。
本来なら6分では時間がないので駅取材は断念していたが、
現場判断で駅取材を強行した。
ここでやってきた車両が500形501号車、「へいちく浪漫号」だった。
500形は平成筑豊鉄道の最新車両だが、
観光資源とするためにレトロ調の車両に仕上げられている。
田川伊田から44分かけて伊田線を行橋まで行く。
平成筑豊鉄道は筑豊エリアの旧国鉄特定地方交通線である伊田線、糸田線、田川線を引き継ぎ、
1989年4月26日に誕生した第三セクターである。
もともとは別の社名を模索していたが、
社名決定をする予定だった1989年1月7日に昭和天皇が崩御、
年号が「平成」に変わったために、急遽社名を「平成筑豊鉄道」に決定した。
旧国鉄路線を引き継いだためにJR九州線と接続する駅が多く、共同使用駅も多い。
14:23に予定通り行く橋に到着する。
「へいちく浪漫号」の車両取材をしてから改札の外に出て駅取材を開始する。

2008/11/24 14:38

画像:田川後藤寺駅のホームに並んだJR九州と平成筑豊鉄道の気動車 撮影時刻 2008/10/18 13:21:51


  7.断られた駅弁購入と「ソニック弁当」

行橋駅は高架の下を利用した駅舎だが、
このエリアの主要駅であるために奇抜なデザインが施されている。
西口にはC11型蒸気機関車の動輪が飾られていて、
碑文には以下のように書かれている。

   碑文

 明治28年、日の地に行橋駅が営業を開始して以来、
 機関区、車掌区、客貨車区、保線支区、信通支区等の
 業務区間が開設されてここ行橋は京築地方の鉄道輸送の一大拠点として
 発展の一途を辿り、大いに活況を呈してきた。
 ここに展示している動輪は、C11型蒸気機関車の第1動輪、第2動輪の2軸である。
 かつて、昭和8年頃から昭和47年にかけて一般に「Cのチョン、チョン」の愛称で呼ばれ、
 小型ながら力量間あふれるスタイルで、スピード感とプロポーションを持ち合わせており、
 約40年に亘り、九州のどの線区でもその勇姿を見ることができた。
 行橋機関区にも数多く配属され、日豊線や田川線で活躍したが、
 電化、ディーゼル化の進展とともに昭和47年3月に九州から姿を消した。
 このたび、日本鉄道OB会行橋支部創立50周年記念事業の一環として、
 思い出のこの地に動輪を展示し後世に残すこととしたものである。

  平成16年8月26日 日本鉄道OB会 行橋支部

まだ昼食を喰っていなかったために駅蕎麦を探すが、この駅にはなかった。
行橋の乗り換え時間は35分で、このあと「ソニック29号」で一端大分まで行く。
kioskで駅弁が売っていたので、ここで購入して車内で喰おうと思った。
この駅弁は在庫を置いておらず、客からの注文を直接近所の工場に発注するスタイルである。
特急の出発時間まであまりなかったので、その旨も定員に告げて電話して貰った。
しかし工場からの連絡は、「忙しいので配達が出来ない」ということだった。
とほほ・・・。
結局駅弁を確保できないままに16:43行橋発車の特急「ソニック29号」に乗車した。
行橋から終点の大分までは1時間3分の旅である。
ソニックには883系と885系が充当されているが、今回は885系が来た。
885系は普通車でも革張りシートが用意されているちょっとお得な車両である。
行橋駅で駅弁は確保できなかったが、車内販売が来てここで駅弁を購入することが出来た。
それは「ソニック弁当」という名称が付けられている。
特急「ソニック」の車内販売限定の弁当で、そういう意味からして厳密には“駅弁”ではなく、
“列車弁”とでも云うべきものである。
価格は\1,000で、近未来的なデザインの特急「ソニック」からはちょっと意外な、
和風のイメージの先行する弁当である。
弁当の中に入っていたお品書きには以下のように書かれていた。

 ソニック弁当
  お品書き
   大分の歴史の中へ・・・

一、ふぐめし
一、鶏の七味焼き
一、青のり卵焼き
一、博多筑前煮・青ぎんなん
一、鯖竜田揚げ
一、いわし天
一、ぜんまい旨煮
一、金時豆
一、大根かぼす漬け
一、鶏天クレソン風味
一、かぼす寒天・レモン

製造元は“博多駅 寿軒”となっていた。
列車の中はほぼ満席状態だったが、隣の人の顰蹙も気にせずに弁当を撮影してから喰う。
弁当を喰い終わって一息ついていると車窓からは大分の海が見えてきた。
そして特急「ソニック」は終点の大分駅に到着する。
ここからがこの旅の最大のイベントである寝台特急「富士」の旅になる。

2008/11/24 16:01

画像:行橋駅西口のC11型時陽気機関車の動輪 撮影時刻 2008/10/18 14:32:27


  8.A列車で行こう−寝台特急「富士」の旅

寝台特急「富士」は東京駅から九州の大分駅を結ぶ夜行寝台列車である。
客車には14系、14系15形が使用され、
A1である“シングルデラックス”B1である“ソロ”のほか、開放B寝台が連結されている。
食堂車は連結されておらず、シャワー設備もない。
車内販売も早朝にならないと乗車してこないため、
乗車前に夕食を確保するか、停車時間に駅弁を購入する必要がある。
牽引列車は東京から下関までの東海道本線、山陽本線の区間はEF66型電気機関車、
関門トンネル区間である下関から門司までは塩害対策済みのEF81型電気機関車、
そして門司からは交流専用機のED76型電気機関車が担当する。
東京から門司までは東京−熊本間の寝台列車「はやぶさ」と連結され運転され、
門司で分離結合作業が行われ、「はやぶさ」は鹿児島本線を熊本まで、
そして「富士」は日豊本線を大分まで行く。
かつては「はやぶさ」は東京−長崎間の寝台特急「さくら」と連結運転されていて、
寝台特急「富士」は東京−大分間を単独運行されていたが、
2005年に「さくら」が廃止されると「はやぶさ」の連結相手が「富士」となった。
大分駅には16:01に到着し、乗り換え時間は42分と十分にあったが、
駅取材してゆっくりとお土産を見ていたら時間が無くなり、
再び改札を入場した時には既に「富士」が入線していた。
慌てて車両取材をするが、その間に時間はどんどん過ぎて出発間際となり、
とうとう駅弁を購入する暇が無くなってしまった。
6月に「はやぶさ」に乗った時に駅弁で苦労したので、
今回はちゃんと乗車前に購入しようと思ったのだが、
今回も結局駅弁を買いそびれてしまった。
とほほ・・・。
寝台特急「富士」は16:43に大分駅を出発する。
今回もA寝台個室“シングルデラックス”の寝台券を購入してあった。
前回「はやぶさ」に乗った時も“シングルデラックス”だったが、
その時とは部屋の作りが違うような気がした。
たぶんベッド兼ソファと洗面設備兼デスクの配置が逆になっているようだ。
“独居房”と揶揄されるくらい狭い「富士」、「はやぶさ」のシングルデラックスだが、
それでも慣れればそんな不快な感じはしない。
走る列車で個室が与えられるだけでも特別待遇と云うべきである。
前回は“JNR”のマークが入ったままの寒暖計などが設置されていたが、
今回の部屋では撤去れていた。
車内は老朽化のために見劣りがしていて、この列車の将来が明るくないことは現車を見ても分かる。
中津で停車時間が8分あり、この時間で駅取材をする。
しかし太陽はほぼ沈みかけていて、自然光での取材はほとんど不可能になっている。
斜めに動くエレベーターや駅にまつわる歴史など、
この駅は再度改めて取材すべき駅だと思った。
駅弁を購入しようと思ってkioskを除いたが、ここでは駅弁は売っていなかった。
仕方がないので駅内にあったampmで和風おかずのおにぎり\398を買ってこれを夕食にすることにする。
18:58に門司駅に停車してここで連結シーンを取材しながら、
同時にkioskを覗くがここでも既に駅弁は売り切れていて、
ビールだけを購入して車内に戻る。
下関でも機関車の付け替えシーンを取材し、
ビールを飲みながらコンビニで購入した弁当を喰う。
前回は6月だったが、今回は10月で日没時刻もかなり早くなっているため、
動く機関車の車両取材はほとんど不可能になっていた。
夜になるとやることもなく、9:30p.m.には消灯して寝てしまう。

2008/11/24 16:55

画像:大分駅に停車中の寝台特急「富士」 撮影時刻 2008/10/18 16:40:09


  9.鹿身事故による遅延と車販の駅弁−旅の終わり

さすがに9:30p.m.に寝てしまったため、夜中の3:00a.m.に目が覚める。
列車は吹田から新大阪、東淀川を通過するところだった。
通り過ぎる真夜中の車窓を見ながら、
こんな時間にもかかわらず、街には数多くの明かりがついているなというのが素直な感想だった。
京都まで街の様子を見ようと思ったが、
そのうちまた眠くなり寝てしまった。
6:00a.m.前に再び目を醒ましてボッとしていた。
6:12a.m.に車掌から車内放送があった。
それによるとこの「富士」の前を走っていた貨物列車が鹿を撥ねたため、10分程遅れているという。
この放送にはちょっと疑問に思った。
どこで鹿を撥ねたのだろう。
山陽本線、東海道本線は比較的人の住んでいる太平洋側の海岸を走っていると思っていたのだが、
それでも鹿の出没する地域を走っていたのだ。
名古屋から車内販売が乗り込んでいて、6号車と7号車の連結部分で販売を開始しているという。
そのあとに各列車をまわると云うが、売り切れる前に購入した方がいいと思い、
「富士」と「はやぶさ」の連結部分にあたる6号車と7号車の連結部分に行く。
既に行列が出来ていて、並んで何とか駅弁とお茶を購入する。
駅弁は前回寝台特急「はやぶさ」で熊本から東京に帰ってきた時にも購入したのと同じ、
幕之内弁当「日本の味博覧」\1,000である。
ジェイアール東海パッセンジャーズ製で、“おしながき”には以下のように書かれている。

 日本の味博覧

飯  俵物相
    黒米
    粟飯
香物 甘塩梅干し(紀州南高梅)
   切り干し山葵味
   秋茗荷酢漬け
口取 厚焼き玉子
   黒胡麻豆腐
   トラウト塩焼き
   紅鮭昆布巻き
   胡桃ピリ辛甘露煮
   栗甘露煮
   いちょう芋
   賽の目大根甘酢漬け
炊合 季節野菜旨煮
    かぼちゃ、茄子、松茸里芋、
    どんこ椎茸、れんこん、人参、
    高野豆腐、パプリカ(赤)、
    松茸、紅葉麩、隠元豆

監修 かいせき井中居(姉妹店 黒茶屋、燈々庵)
   総料理長 田中博敏
 (株)なだ万に二十四年間勤務、一九六八年なだ万本店
 山茶花荘籍の折東京サミットにおいて総理大臣
 主催の公式晩餐会の調理担当に任命される。
   
今回は「秋のふきよせ」と書かれており、前回のものとは内容が少し違っていた。
また弁当の外箱には「健康弁当宣言
 ・品目数は20品目以上
 ・野菜は120g以上使用
 ・使用する油はコレステロール「0」
 ・合成着色料は一切不使用
 ・特A評価の国産米を100%使用」などと書かれていた。
弁当を食い終わったあとに車内販売が改めて回ってきた。
既に駅弁は売り切れていて、サンドイッチとコーヒーを持って回ってきている。
コーヒー\300を購入して車内でまったりする。
車掌が進行方向左側に富士山が見えるというので、廊下に出て富士山を撮る。
冠雪は見えるが、それほど広がっていない。
それでも日本人にとって富士山は特別なものである。
富士駅に停車する頃には遅れは5分にまで短縮され、
終点の東京駅には定刻の09:58に到着した。
東京駅10番ホームに到着し、ここで牽引のEF66型電気機関車が外され、
9番線が空くのを待って機回り回送し、
しばらく留置線で待ってから東海道線の列車の合間を縫って反対側に取り付け、
そして品川駅に隣接する車両留置場まで回送されていく。
前回と同様にこの様子をずっと取材する。
東京駅地下ホームの10:50発の総武快速線で帰宅する。

 −撮影データ−

2008.10.17. 撮影 843枚 保存 100枚
2008.10.18. 撮影 1213枚 保存 137枚
2008.10.19. 撮影 242枚 保存 58枚

 合計   撮影 2298枚 保存 295枚 合計 12.8%

2008/11/24 17:42

画像:東海道本線を回送されていく「富士」「はやぶさ」 撮影時刻 2008/10/19 10:39:25




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