久留里-漂泊の思ひやまず



 1.心の隅にわだかまる言葉

それは何気ないふとしたきっかけだった。
心の中に何となく浮かんだ言葉「久留里」。
暫くはそれが何を意味するのかも朧気にしか分からなかった。
会社の同僚からテレビのバラエティーで女性レポーターが、
JR久留里線に乗って旅をするという番組を見たという話を聞かされた。
ほんの一瞬の何気ない言葉。
ただ千葉に住んでいるというだけで「久留里」を知っているかと訊かれた。
ただそれだけのことであった。
そしてその時はただ「知らない」とだけ答えたように記憶している。
ただそれだけのことだった。

しかしその「久留里」という言葉の響きが何気なく頭の片隅に残っていた。
ある日会社から帰って何時ものようにネットに接続して、
BBSの書き込みや電子フォーラムの書き込みをチェックしていた時、
本当に何気なく「久留里」という言葉が頭をよぎった。
それは気に止めるまでもない事だった。
しかしたまたま検索エンジン「InfoNavigator」が開いていたので、
「くるり」という単語を打ち込んで検索してみたら2520件ヒットした。
どうやら「くるり」とは佐藤征史、岸田繁、森信行の3人組のミュージシャンのようである。
このミュージジャンの名前は聞いたことがあるが実際の演奏は聴いたことがない。

しかしこれはちょっと違うなと思い「駅すぱあと」で「くるり」と打ち込んでみたら、
駅選択のダイアログボックスで「久留里」という駅名が出てきた。
早速「幕張-久留里」で検索してみた。
千葉から内房線で木更津に出て更に久留里線で45分。
駅すぱあとの結果では2時間40分かかると表示されている。
クルマなら武石インターで京葉道路に乗ってそのまま館山道の終点木更津で下りて、
国道409号から410号には入れば2時間もかからないだろう。
行くなら絶対クルマが便利な場所だ。
しかしここへは敢えて電車で行ってみたいような気がした。
久留里線は電化されていない気動車が活躍している区間である。
この気動車にも何となく乗ってみたいと思った。
久留里には1400年代に築城された久留里城の天守閣が復元されていて、
そこが唯一の観光スポットになっているようだ。
検索エンジンで久留里に関していろいろ調べているうちに、
最初は単なる興味だったのがすっかり行く気になってしまっていた。
ほんの何気ない心にわだかまっていた言葉「久留里」。
しかしネット上でいろいろと調べているうちに次の休みに行こうと決めていた。
むしろ、行くことが当たり前のような気持ちにさえなっていたのである。
「久留里」はそんな不思議な響きのある言葉だった。

Date: 19 Nov 2000 15:05:49


 2.漂泊の思ひやまず

すっかり「久留里」という言葉に翻弄されて行く気になってしまったが、
ネット検索で「久留里」の事を調べて、
少しずつ旅愁に思いを馳せているうちに心の中にひとつの言葉が浮かんできた。
それは松尾芭蕉の「奥の細道」の序文である。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。」と始まるあの名文である。
高校の頃、国語の時間に無理矢理暗記させられたように記憶しているが、
何故か今になってあの言葉が蘇ってきた。

 月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。
 舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
 古人も多く旅に死せるあり。
 予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊のおもひやまず、 
 海浜にさすらへて、去年の秋江上の破屋に、蜘蛛の古巣をはらひて、
 やや年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、
 そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、
 もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、
 住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、草の戸も住み替る代ぞ雛の家。

何故松尾芭蕉なのか分からない。
しかし旅という言葉を深く見つめ直す時、何故か芭蕉のこの言葉が思い出されてしまう。
人は何故旅に出るのだろうか。
芭蕉はこの序文で人生のそのものが旅であると説いている。
だから人は人生に迷った時、その答えを見つけるために旅に出るのである。
人は「日々旅にして旅を栖とす」。
人は人生という旅にその道標を失った時、本当の旅に出て、
人生という名の旅の道標をそこに求めるのである。
我もまた、旅に出て、人生の旅の道標を欲すると・・・。
そんな思いで2000年11月18日、ついに「久留里」に向かって旅に出た。
そこに人生の旅の目的を求めんがために・・・。

Date: 19 Nov 2000 15:07:34


 3.久留里線

総武線で千葉に出て、そこから内房線で木更津まで出る。
木更津から久留里線に乗って約45分、そこが「久留里」である。
千葉駅で「いつもの」というカレーとラーメンのスタンド・ショップで、
カレーライスを喰ってから内房線で木更津を目指す。

内房線はその名の通り、房総半島の内側を走る路線で、以前は房総東線といった。
千葉駅08:06発の113系の電車に乗って木更津へ出発する。
約38分で木更津に到着する。
朝早く起床したこともあって微かな睡魔とともに朝の心地よい日差しを窓越しに浴びながら旅は続いた。
心地よい微睡みはノンレム睡眠にはいることなく中断され、木更津の駅で下車する。
久留里線の出発時間まではまだ間があったのでいったん改札を出て、木更津の駅前を少し散策した。

久留里線は木更津から非電化区間を走って久留里まで行き、
更に上総亀山という房総丘陵のど真ん中、
もう少ししたら鴨川市に達するというところまでを丁度1時間かけて走るローカル線である。
キハ30、キハ37、キハ38といった気動車、つまりディーゼル車が走っている。
電車には慣れ親しんでいるが、千葉県内で気動車に乗るというのはちょっと珍しい体験だった。

09:15発の久留里線に乗って、「久留里」を目指す。
走り出すと床から小気味よい振動が伝わってくる。
丁度バスに乗っているときの車内に響いてくるエンジン音のような微かな騒音がまた心地よい。
なにかとても懐かしいような気分になってくる。

久留里線はローカルな路線だけあって無人駅も多く、
車掌が降りた客から切符を回収したり、乗り越しの精算をしたりしている。
精算でもたついていると1分くらいあっという間に立ってしまうが、
乗客からはそんなことでイライラしたり、車掌にクレームを付けるものはいない。
みんな至ってのんびりしている。
こんなところもローカル線の良いところだ。
車窓は非の打ち所のない田園風景で、
窓越しの日差しと気動車の心地よい振動音に微睡みながら「久留里」の駅に着いた。

Date: 19 Nov 2000 15:09:33


 4.水の街「久留里」

久留里駅は駅前に何もない、典型的な田舎の駅前だった。
無人駅の多い久留里線の中で久留里駅は数少ない有人駅だった。
木更津駅から10番目、22.6kmの地点にあり、タブレット交換駅になっている。
久留里駅は単式1面1線と島式1面2線の地上ホームを有するが、
島式ホームの片側は業務用車両の留置線となっていて旅客利用されておらず、
実質的には相対式2面2線となっている。
かつてはこの駅が終点であったが、のちに現在の上総亀山まで延長される。

またサントリーの「夕張メロン酒」のCFで、
旅をしている吉岡秀隆が恋人に手紙を書いて、
大濱ルミが自分の部屋で「な~に云ってんだか・・・」という、
あの駅のロケ地がこの久留里駅だそうである。

閑話休題、この久留里は「水の街」でもあるそうだ。
日本の名水百選にも選ばれた水だそうで、街の中の至る所に井戸があり、
その中の一部は自由に飲んだり持ち帰ったりすることが出きるそうである。
実際に久留里で下りて、久留里城を目指して歩き出した時にも、
2つの井戸が「ご自由にお飲み下さい」と一般開放していた。
確かに井戸水特有のの美味さがある。
自分も子供の頃から井戸水を飲んできたので、井戸水の美味さはよく分かっているし、
逆に水道水はお茶を入れたりしてもあまり美味く感じない。
ここの井戸水は通行人が飲むだけではなくポリタンクで持ち帰る人も多いそうで、
帰りには実際にクルマで来て水を持ち帰っている夫婦を目撃した。
城下町なので古くから井戸を掘っていたことが理由に挙げられるのだろう。
井戸の出ないところに城は建てられないから、
逆に云えば城下町には水の美味しいところが多いのである。

Date: 19 Nov 2000 15:11:27


5.久留里城

この旅の最終目標は久留里城である。
それは久留里の街で唯一の観光スポットであるからで、
逆に云うとこの城を目指す以外にこの駅で降りる観光客はいないだろう。
それでも観光スポットであることに代わりはないのだから、
駅前に看板くらいはでているだろうと思ったのだが、何もない。
君津市上総地区行政センターという行政機関の出先機関があるだけで後は何もない。
駅前がこれほど空き地になっているのも田舎の駅の特長だ。

仕方がないので事前に調べて頭に入れて置いた地図の記憶を頼りに久留里城を目指す。
駅前を進んで国道410号を左折する。
途中幾つかの井戸を見てそのまま歩き続け、約30分で久留里城入口につく。
普段の運動不足が祟って、ここまで来るまでに息が上がってしまう。
久留里城入口の看板を見つけて坂道を上がっていく。
久留里城は山全体を城として本丸は山頂にある。
観光本にも載っていないような、あまり有名な城ではないが、
それでも城というのはいいものである。

房総の地の利を生かして山全体を城郭として、
戦国時代に幾度となく戦火に見舞われたが、
それでもこの城だけは落ちなかったと云われている。
明治に入り廃藩置県の時に取り壊されたが、
現在では本丸が復元されていて、二の丸のあった場所が資料館になっている。

築城に関しては正確にはわかっていないが、
真里谷城を本拠としていた真里谷武田氏に属していた城がその始めだっただろうと云われている。
安房の里見氏が久留里城を本拠地として上総に進出し、
永禄7年、一時北条氏の手に落ちるが、2年後に奪還している。
その後、豊臣秀吉による里見氏の上総の所領没収に伴い、
徳川四天王の一人、大須賀忠政が入城し、
関ヶ原の合戦後に土屋氏に渡り、一時廃城になっていたが、
八代将軍吉宗の頃に黒田氏が久留里に配置され、
約60年間廃城になっていた城を再建し、そのまま明治を迎えた。

 ※参考:君津市立久留里城後資料館「戦国から近世の城 久留里城」より

Date: 19 Nov 2000 15:13:01


 6.「久留里城址420m」

久留里城の入り口には久留里城址の石柱があるが、はっきり云って変わりにくかった。
この城は拝観料を取っていないので、逆に云うと売り上げを上げようとする営業努力もしていない。
小道にはいるとすぐに左折、結構きつい坂道を上る。
坂道の途中には城山隧道という短いトンネルがある。
隧道を抜けるとそこが駐車場になっている。
そこに行くまでで息が上がり、もうヘトヘトになってしまったが、
坂を上りきったところに「久留里城址420m」という手書きの案内板が出ている。
「ふざけるな~!」と心の中で叫んでしまったが、
ここまで来て引き返すわけにも行かない。
更にきつい坂を上っていく。
途中周りの景色の写真を撮る。
周りの人にヘトヘトになって休んでいると思われたくないので、
意味もなく雑木林や切り出した岩山などの写真を撮る。
足はパンパンになり、もうこれ以上は歩けないと思ったところで、
漸く二の丸跡の資料館にたどり着く。

Date: 19 Nov 2000 15:14:42


 7.いざ、天守閣へ

資料館に先により、久留里の文化を紹介している展示館を見学する。
坂道を上っているときには疲弊の方が気になっていたのだが、
資料館に入って逆に体が休んでしまうと、今度は額から汗が噴き出してきた。
ハンカチで押さえたくらいでは止まらない位の大量の汗が出てきた。
本当にタオルを持ってくるべきだったかなとも思った。
資料館で資料を見たあと、1階のロビーにあった椅子で休憩してから、いざ天守閣を目指す。
復元された天守閣はそこから更に上にある。
途中、道の間から下界を見下ろすと、本当に高いところまで歩いてきたのだなということが分かる。
天守閣は城の山の城というだけあって松本城や名古屋城のように大きくなく、
極めて小降りで階段で3階に上がったところで外に出られる。
そこから久留里の街全体が見渡せる。
ここを目指してやってきたのだ。
疲弊の先に漸くたどり着いた景色。
しかしそこには思ったほどの感動はなかった。
予想したとおりのありふれた田舎の秋の深まりゆく街並みだった。
多くの刈り取られた水田が広がり時折集落があって、
中央に久留里線の線路が長く続いているのが見える。
ただそれだけだった。

Date: 19 Nov 2000 15:16:18


 8.「旅の終わり」

自分は何を求めてここに来たのだろう。
「漂白のおもひやまず」という芭蕉の言葉に刺激され、
漠然たる期待感を抱いて久留里の街にやってきた。
そして久留里城跡に復元された天守閣を目指してきつい坂道をひたすら上ってきた。
しかしそこには特別の感動も感嘆もなかった。
ありふれた街並みだった。
自分は旅というものに過剰な期待をしていたのだろうか。
期待が大きかった分だけ、そこで受けた空虚感も大きかった。
帰りの道すがら、その空虚感の意味を考え直していた。
芭蕉は云った。「日々旅にして旅を栖とす」。
それは人生そのものが旅であり、旅するということ自体が特別なものでなく、
感動的なものでもないと云うことなのか。
それに期待することが間違いなのであり、
旅は必然であって、その中で何かを見つけるのは日々の生活の中で何かを発見するのと同じく、
無理して探したり、出会うことに異常に期待したりしてはいけないと云うことなのであろうか。
この短い旅を通して、ほんの少しだけ旅することの意味が分かってきたような気がした。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。」
人生そのものが旅であり、旅することは特別なことではない。
こんな事なら旅などしなければいいのではないか。
何故かすがわらやすのりの「旅の終わり」という歌を思い出した。
「こんな辛い旅なんか、もう嫌だ、汽車に乗ろう、旅を終わろう」そんな心境だった。

Date: 19 Nov 2000 15:18:18


 9.久留里の猫

そんな空虚感を抱きながら山道を下り、
国道410号線を戻って久留里駅まで来た。
駅の時刻表を見ると次の上り電車は12:33までなかった。
時計を見るとまだ11:30前である。
たっぷりと1時間はある。
「とほほ・・・。」と思っていると、駅の郵便ポストの上から一匹の猫が下りてきた。
茶色の猫は始めは警戒していたものの、
根気よく呼んでいるとそのうちにじゃれてくるようになった。
猫とお友達になるのにはこちらから近寄っていったりせずに、
向こうから近寄っていただけるまでひたすら待つことが大切である。
茶毛の雌猫は暫くじゃれて足下にまとわりついたり、
仰向けになったのでおなかを撫でてやったりしていたが、
そのうち突然駅の片隅にある石で出来た皿の上の餌を食べ始めた。
たぶん、駅員か近所の人が餌付けをしている野良猫なのだろう。

仕方がないので駅前を散策したが食事の出来るような店はなかった。
検索エンジンで調べて「久留里の水を使った手打ちそば屋~ 安万支 ~」という蕎麦屋を見つけたが、
地図をプリントアウトしていなかったため、
「駅から国道410号線に出て鴨川方面に2分ほど歩くとある『安万支』というお店です。」という、
紹介文だけを頼りに探したが、見つからなかった。
本当はここで地元の日本酒でも飲みながら蕎麦が出来るのを持つなどという、
旅愁たっぷりの光景を想像していたのだが、その夢も脆くも敗れ去った。
仕方がないのでセブンイレブン君津久留里店であんまん、おにぎり、缶ビールを買って、
駅前のバス停のベンチで喰うことにした。
駅舎の中にもベンチはあったのだが、
折角良い天気なので駅前のバス停の長椅子式のベンチに座って食い始める。
バス停と云っても田舎のバスによくあるように一日1便しかない。
時刻表には朝の1便だけ書かれている。
これならわざわざ24時間書ける時刻表なんかいらないような気もするのだが、
それもまあ余計なお世話というものだろう。

ベンチで缶ビールを空けて肉まんをパクついていると、
さっきの猫がベンチの足の下から突然現れた。
「わっ」と声を上げてしまったが、
彼女がベンチによじ登ろうとするので抱き上げてあげると、
肉まんの匂いをクンクンと嗅いだ。
少し千切ってあげてみたが、あまりお気に召さなかったのか、そのまま口から出してしまった。
今度はおにぎりを千切ってあげると、
ベンチから飛び降りてムシャムシャと食べ出した。
あんまんの皮は好きではないが、米の飯はお好みのようである。
それから電車の来る時間までずっと彼女と遊んでいた。

Date: 19 Nov 2000 15:20:27


 10.旅から学んだもの

久留里駅を12:33に出発したキハ30形で木更津まで戻り、
千葉行きの内房線で蘇我まで行く。
蘇我駅で京葉線の写真などを撮る。
京葉線のカラーは赤で武蔵野線のオレンジ色よりも更に真紅に近い色合いである。
京葉線専用に開発された205系は、山手線の205系とフロントのデザインが若干違う。
しかし新型車両を一気に投入できないので、
たぶん京浜東北線のお古と思われるブルーカラーの103系も結構走っている。
京葉線の快速電車は「マリンドリーム」という名称が付けられているが、
どう見てもあんまり夢のある車体とは云えないかなりガタの来ている電車が走っていたりする。

最近は新たに201系のブルカラーの車両が投入されるというニュースもあって、
103系も徐々に廃車に追い込まれていくだろうから、今のうちに画像として残しておきたい。
久留里の駅で早い昼食は喰ったものの、まだ物足りなかったので蘇我駅の立ち食い蕎麦屋でカレーうどんを喰う。
こうしてデジカメのCFカードの144枚分のメモリーも僅か1枚分を残したところで取材終了。
京葉線で南船橋に出て、そこから武蔵野線で西船橋、総武線で帰ろうと思った。

しかし京葉線に乗ったらついついうとうとしてしまい、
気がついたら葛西臨海公園駅まで来てしまっていた。
そのまま寝てたら東京まで行ってしまうところだった。
「日々旅にして旅を栖とす。」この旅で人生は旅であると学んだばかりなのに、すぐさまこの体たらく。
葛西臨海公園駅で降りると、ホームからは夕日に映える建築中の観覧車が見えた。
この前のパセロリのオフ会で見たときはまだ途中までしか出来上がっていなかったのだが、
ゴンドラは取り付けられていないものの観覧車の骨組みは完成していた。
「日々旅にして旅を栖とす。」
夕焼けに染まる観覧車を見ながら、この言葉を改めて噛み締めていた。

Date: 19 Nov 2000 15:22:10


 ※「テーマの果実の樹」2000年11月テーマ「旅」より改題及び改稿

初出:ASAHIネットの電子フォーラム、serori・network「テーマの果実の樹」




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