土日きっぷ-新幹線の旅



 1.土日きっぷ

初めて土日きっぷの存在を知ったのは、
寝過ごして千葉まで行ってしまった総武緩行線の車内広告だった。
後日、津田沼で土日きっぷのパンフレットを手に入れて持ち帰った。
この土日きっぷというのは大人16,000円、中高生8,000円、こども4,000円で、
フリーエリア内の新幹線を含む特急・急行・普通列車の普通車指定席が2日間利用出来るというもの。
期間は今年の4月7日から7月8日までで、ゴールデンウィーク中は使えないらしい。
指定席が利用出来るというのは嬉しい。
これなら座席確保のため前から並ばなくても良いから、
その分時間ギリギリまで鉄道写真の撮影が出来る。
この切符の存在を知って何時しかこれで鉄道写真の取材旅行をしようかなと思うようになっていた。
フリーエリアはJR東日本管区で長野新幹線、上越新幹線、山形新幹線は終点まで、
北陸新幹線も古川まで行ける。
さすがに秋田の方は無理みたいだが、それでも魅力ある商品であることには間違いない。
そこで土日の2日間でフリーエリア内の新幹線完全走破という企画を立案してみた。
JR東日本のホームページの「時刻・乗換案内」でいろいろなルートを検討したが、
乗り換え時間が少なすぎると取材出来ないのである程度余裕を持って設定する必要がある。
そこで最終的に土曜日に長野新幹線と上越新幹線を、
日曜日に山形新幹線と東北新幹線に乗る案で行くことにした。
しかも泊まらずに一度家に帰る。
これは経費削減の意味合いもあるが、
撮影した画像をパソコンに読みとってFCカードの記憶容量を稼ぐという意味合いもある。

今回の旅行はあくまでも鉄道写真の撮影が目的であって観光は一切ない。
土日きっぷのパンフレットには東京都区内~新庄間9,020円おトク!、
同じく仙台間5,180円おトク!、新潟間4,540円おトク!と書かれていたが、
長野、新潟、新庄、仙台と全部回ったらお得過ぎてお釣りが来ちゃうかも知れない。
この企画を4月21日、22日の土日に実行することにした。
本当は14日、15日を考えたのだが、
14日は千葉マリンスタジアムに西武VS千葉ロッテ戦を取材に行く予定なので、一週間ずらしたのだ。
4月3日にインターネットで調べて最終案を決定した。
翌日仕事の帰りに池袋のみどりの窓口でいよいよチケット購入することにする。

Date: 29 Apr 2001 09:41:13


 2.カウントダウン

4月4日、予定通り会社の帰りに池袋のみどりの窓口に行ったのだが、
丁度年度の変わり目と云うことで、定期券を求める人の長蛇の列が続いていて、
ここでの購入を断念し津田沼まで戻ってここのみどりの窓口で土日きっぷを購入する。
大人1枚16,000円でそれと同時に新幹線や特急の指定席も取る。
まだ2週間以上先だからだろうか、全ての指定席が、それも全て窓際をキープ出来た。
土曜日は07:32東京発あさま1号は5号車1番E席、
11:41直江津発はくたか7号は1号車11番D席、
13:17越後湯沢発Maxあさひ317号は2階6号車23番E席、
15:33新潟発あさひ322号は6号車14番E席を取った。
日曜日は07:20a.m.東京発つばさ113号は13号車10番D席、
14:37a.m.仙台発Maxやまびこ46号は2階14号車28番E席を取った。
正月休みや夏休み、またゴールデンウィークのような集中する時でなければ、
2週間前でも簡単に予約を入れることが出来るのだな・・・。
自分で新幹線のチケットを買って予約を入れたのは初めてだから、
どういうものなのか見当もつかなかったが、比較的簡単に取れてしまった。
しかしインターネットで「時刻・乗換案内」がなかったら、
たぶんこの切符は購入していないだろう。
どういうルートで行けばいいのか、幾ら何でも新幹線を行き当たりばったりで乗るというわけにも行かない。
きちんと予定が組めたのも、インターネットの普及に寄るところが大きい。
少なくても鉄道には無知の自分にとってその恩恵は有り難いものである。
こうして入手したチケットで、4月21日土曜日には新幹線でまず長野を目指すことになる。
新幹線に乗るもの久しぶりである。
4~5年前、仕事関係の得意先の旅行に同行して松島に行ったのが最後だったかな・・・。
その頃はまだ今のようにバリエーションに富んだ種類はなく、リニューアル前の200系しかなかった。
窓の部分にグリーンのラインが入っている開業当時のデザインである。
東海道・山陽新幹線がブルーであることから、北陸・上越新幹線はグリーンになった。
今回は初めて自分でチケットを取って、一人きりで乗り込むことになる。
毎日毎日その日が来るのが楽しみだった。
通勤途中、秋葉原で乗り換える時に何時も丁度200系リニューアル新幹線を見掛けるのだが、
毎日“あと何日でおまえに乗ってやるぞ!”と思っていたりしたのだが、
4月20日、カウントダウンは最後の1に、いよいよ明日に迫った。
なんだかそれだけでも嬉しい気分になってくる。
そしていよいよ当日がやってきた。

Date: 29 Apr 2001 09:41:56


 3.テーキングオフ

4月21日土曜日、いよいよその日はやってきた。
5:15a.m.起床、支度をして6:03a.m.には家を出る。
ところが総武緩行線の幕張駅上り休日のダイヤは06:05の次は06:19になってしまう。
全然時刻表を見ないで出ちゃったが、明日は06:05に乗れるように支度をしよう。
06:19中野行きE231系で秋葉原に行き、07:01の山手線で東京へ。
東京駅で土日きっぷを自動改札に入れて上越・東北新幹線乗り場に入場する。
憧れの新幹線ホームで、ここでいろいろと写真を撮る。
写真を撮るのに夢中になりすぎて、朝食の弁当やビールを買う時間がなかった。
07:32東京発のE2系あさま1号で長野へ向かう。
予約した席は5号車1番E席で、隣はノートパソコンで仕事をしているビジネスマンだった。
その他の席も大宮では殆ど埋まっていた。
東京駅を出た新幹線は秋葉原駅の途中あたりから地下に入る。
上野駅が地上にスペースを取れなかかったために地下駅になっているからだ。
あさま1号は上野駅にも停まらずにそのまま通過し、
日暮里駅あたりで地上に出て再び高架を走り出す。
北区に入り平日仕事で回っ ているエリアを見下す。
普段は浮間あたりから新幹線を見上げているけれど、
今はそのエリアを見下ろして「おいらは新幹線に乗ってるんだよお~ん!」と嬉しくなった。
武蔵浦和では仕事中によく通り過ぎる新幹線の写真を撮っていたが、
その時見ていた千葉ロッテマリーンズの室内練習場なども見ながら通り過ぎる。
上越、長野新幹線は大宮で東北新幹線で別れて高崎方面に向かう。

※写真:東京駅に入線してくるE2系 撮影時刻 2001/04/21 07:21:45

Date: 29 Apr 2001 09:45:09


 4.旅はポッキーと共に

本当は車内販売で弁当を買うつもりでいたのだけれど、
朝早くてついウトウトして、アテンダントのお姉さんが通り過ぎたのに気付かず、弁当を買いそびれてしまう。
仕方がないので前日にコンビニで買ったMEN'Sポッキーを喰いながら空腹を癒し長野へと向かう。
東京から長野までは85分、充分日帰り出来る時間である。

E2系新幹線は1997年3月秋田新幹線用併結運転用の東北新幹線に投入され、
半年後の長野新幹線開業に合わせて東京~長野間にも投入された。
マリンブルーとホワイトのツートンカラーに赤いラインが入る。
その流線型のデザインは新幹線用車両の中でも最も好きだ。
長野新幹線用E2系は30パーミル野坂を高速で上れるように設計された、
山岳対応の新幹線で時速260kmの最高速度を持つ。

高崎駅あたりで旧タイプの電気機関車が何台かと待っているのを目撃した。
それとどう考えても101系としか見えない電車もあった。
ここは何時か行ってみたい。
軽井沢手前のトンネルを抜けるとすごい霧だったが、更に行くと霧は止んでいた。
08:57にあさま1号は長野駅に到着する。
朝の9時には既に長野の地に立っていた。
ここは長野オリンピックの時は大変な賑わいだったのだろうけれど、
今は立派すぎる施設がかえって寒々しい感じがする。
何はともあれ信州といえば蕎麦だ。・・・ということで、
長野駅の「しなの」という立ち食い蕎麦に入る。
ここは待合室も兼ねていてベンチに座って立ち喰い蕎麦を喰うことが出来る。
座って喰うのは立ち喰いとは云わない気もするが・・・。
蕎麦を置くテーブル代わりになるスペースも用意されている。
ここで山菜そば350円を喰い、再入場して車両取材を開始する。

※写真:JR長野駅東口 撮影時刻 2001/04/21 09:21:13

Date: 29 Apr 2001 09:48:22


 5.しょくパンマン

最初、長野駅には殆ど電車が止まっておらず途方に暮れてしまったが、
その後いろいろと入線してきて、食指の動く被写体に恵まれた。
ここでは115系が中心的車両となっているみたいであるが、
東京のような緑とオレンジではなく、
白を基調としてブルー系のパステルカラーのラインが入った塗装である。
ほかにJR東海所属の383系特急「しなの」や、
飯山線の気動車キハ110系などもレンズに納める。
新幹線の長野到着から57分、信越本線で直江津に向かう。
これもやはり115系で途中単線を走っていて、
脇野田というところでは反対から来る貨物を牽いた電気機関車を待ったりした。
09:54に長野を出て約94分、11:28には直江津に着く。
直江津では13分ではくたか7号に乗り換えなければならない。
そんな中で419系を見掛ける。
419系は国鉄末期に581系、583系の「月光」型昼夜兼用特急を改造して生まれた近郊型電車。
基本編成が3両ユニットとなるために元中間車に切妻型の運転台が新設され、
建築限界一杯のユニークな顔の先頭車が生まれた。
そのユニー クなデザインからしょくぱんマンというあだ名が付いている。
419系を撮影しつつ、入線してきたはくたか7号に飛び乗る。
はくたかは旧国鉄時代からある直流交流両用の特急485系で、
以前はデザイン的に183系と同じであったが、
盛岡~青森を走るはつかりと同様に、
先頭車前面をFRP(ガラス繊維強化プラスチック)製のマスクを取り付けて、
外見からも大きくイメージチェンジし、
内装もリクライニングシートの導入など、いろいろと改造されている。
はくたかは金沢~越後湯沢を走る特急で、北越急行ほくほく線を走るため、
一部区間が別料金になると津田沼のみどりの窓口で云われたが、
検札に来た車掌は何も云わなかったのでそのまま乗ってしまった。
直江津を11:41に出て63分で越後湯沢に到着する。
越後湯沢に着いたのは12:44だった。

※写真:しょくぱんマンと渾名される419系 撮影時刻 2001/04/21 11:35:18

Date: 29 Apr 2001 09:50:51


 6.チューリップの咲く駅

はくたか7号が越後湯沢に到着する直前、一瞬車窓にガーラ湯沢が見えた。
越後湯沢での乗り換え時間は33分。
ここでJR西日本所属のはくたかに出会う。
JR東日本のはくたかはリニューアルされた485系を使用しているが、
JR西日本のはくたかは国鉄時代のデザインそのままで運行されていて、
ちょっとノスタルジックな感じだった。
その他にもほくほく線のワンマンカーなどいろいろと撮る。
13:17に越後湯沢からMaxあさひ317号で新潟に向かう。
写真を撮るのに夢中で危うく乗り損なうところだった。
2階6号車23番E席を予約していたのだが、
発車のベルが鳴り8号車に飛び乗って中を移動した。
MaxあさひはE1系で2階建ての部分とそうでない部分では、
階段で移動しなければならず移動が大変だった。

E1系新幹線は通勤通学にも対応出来る輸送力を確保するためにオール2階建てで、
1994年7月に誕生、Maxあさひは東京~新潟間を走る。
オール2階車両には“Max”と呼ばれている。
E1系はJR東日本の新刊専用車両としては初めてVVVFインバータ制御を採用し、
2階建ての大きな車両でも最高時速240kmを出せるように設計されている。

越後湯沢から52分、14:09に新潟駅に到着してそこでまた写真を撮りまくる。
駅舎取材のために一度外に出たが、駅前の花壇にチューリップが咲いていた。
考えてみたら長野で山菜そばを喰って以来全く食事を取っていなかったことに気付き、
駅ビルプラーカ内にある「BIG CHEF」に入り日替わりハンバーグ680円+34喰う。
サラダ、スープ、更に飲み物もつく。
オレンジジュースをオーダーしたが、これは限りなく薄い代物だった。
この値段では仕方がないのかも知れないけれど・・・。
新潟駅で更にキハ40系、115系、E127系などの撮影をする。
15:33にあさひ322号で東京に帰る。

※写真:新潟駅ロータリーに植えられているチューリップ 撮影時刻 2001/04/21 14:29:02

Date: 29 Apr 2001 09:53:05


 7.ビールとポテチ

新潟駅を15:33出発のあさひ322号で東京に戻る。
密かにリニューアル車を期待していたのだが、
上越新幹線開業当時から運行されているリニューアル前の200系車両だった。
車内はドアのところのデジタル表示もない。
新潟を出た時には殆どが空席だった。
kioskでビールとポテチを買い込み車内で飲みながら帰る。

200系新幹線は東北・上越新幹線が開業した1982年6月から運行されている車両で、
外見のデザインは東海道・山陽新幹線の0系を踏襲している。
最近では2階建て車両やリニューアル車の登場などいろいろとバリエーションに富んでいる。
東海道・山陽新幹線の基本デザインが白い車体に窓のところだけブルーになっているものだが、
東北・上越新幹線は窓のところがグリーンになっている。
リニューアル車両はブルーとホワイトのツートンで、真ん中のラインはグリーン。

ポテチをつまみながらビールを飲み、
どの辺りか分からないがいつの間にか寝てしまい、
目が覚めたら武蔵浦和の辺りだった。
17:48に東京駅に着く。
時間に追われながらの一日にだった。
だが、旅はまだ半分が終わったところなのだ。
今日一日で、OLYMPUS CAMEDIA E-10で撮影した画像は106枚だった。
総武線快速で津田沼まで出て各駅停車で幕張へ帰る。
こちらの方では雨が降ったらしいが、今日一日結局雨には降られなかった。

※写真:東京駅に戻ってきた200系新幹線旧タイプ 撮影時刻 2001/04/21 17:54:05

Date: 29 Apr 2001 09:55:52


 8.朝まく

5:15a.m.起床、今日こそ急いで支度をして06:05に乗ろうと思った。
洗面台の脇にかけてある時計を見ながら支度をしていたのだが、
比較的時間の余裕を持って支度出来ると思っていたら、時計は5:42a.m.で止まっていた。
隣の部屋の時計で確認したら5:50a.m.だった。
慌てて支度をして駅まで全力疾走で何とか6:05a.m.の三鷹行きに間に合う。
昨日の夜から降り続いた雨は何とか止んでいた。
秋葉原で京浜東北線に乗り換えに東京駅に行く。
東北・上越新幹線乗り場に入場し07:20まで新幹線の写真を撮りまくる。
昨日の反省を踏まえてホームのkioskで弁当、朝まく450円買う。
朝まくは「朝だけの幕の内」の略で、豪華な駅弁ではちょっとヘヴィーだという早朝の客向けに作られたもので、
野菜の煮物、鮭の塩焼き、鹿尾菜の煮物、菠薐草の胡麻和え、玉子焼きなど、
朝食向けの品揃えでご飯の量も少ない。
この朝まくを持って07:20に東京発のつばさ113号に乗る。
昨日のつばさ113号はE3系だったが、今日は400系だった。
個人的には400系の方が好き だ。

400系は1992年7月の山形新幹線の開業に合わせて開発された車両で、
福島から在来線の線路を走るため、新幹線の線路と在来線の線路の両方を走れるような構造になっている。
新幹線のイメージを一新したシルバーメタリックのボディーと、
戦闘機の先端部を連想させるようなトップが新しい。
1999年12月の新庄延長に際してE3系1000番台が投入された。

400系は普通車でも2+2のシートで、13号車10番D席に予約を取ってあった。
ここで朝まくを喰い、キャビンアテンダントから缶ビール350ml250円買ってポッキーをつまみに飲む。
いつの間にか寝てしまって、福島で新幹線の高架から在来線に降りる瞬間を見損なってしまった。
目が覚めたら山形だった。
大部分の客がこの山形で降りていった。

※写真:戦闘機の先端部を想像させる400系 撮影時刻 2001/04/22 10:31:57

Date: 29 Apr 2001 09:58:58


 9.最終試験

山形新幹線は在来線の線路を利用して走るミニ新幹線で、
福島までは東北新幹線の路線を利用する。
在来線に降りてからは新幹線ながら車窓は田圃ばかりで、
田圃の真ん中を新幹線が走るというちょっと異様な光景になった。
山形から約30分、10:27に新庄に着く。
さすがに在来線の路線を走るためにそれ程スピードは出せないらしい。
新庄で降り、電車の写真を撮ってから改札を出たが、既にそこには客は殆どいなかった。
駅前に出ても閑散としていて、タクシーすら見あたらない。
まがりなりにも新幹線の止まる駅なのだが、それでも人は見あたらなかった。
新庄から奥羽本線719系で北山形まで戻る。
この電車は2両編成のワンマン電車である。
奥羽本線山形線は無人駅が多いので、駅できっぷを買うのではなく、
電車で降りる時に料金を払いというスタイル。
無人駅では運転席のある車両の後ろのドアしか開かない。
客はここで電車の脇にあるボタンで自分でドアを開け、整理券を取って乗り込む。
整理券には乗車駅が記されていて、降りる時に運転手に料金を払って降りる。
運転席の前には駅の名前と料金を提示した電光掲 示板がある。
まるでワンマンバスそのものだ。
10:56発の山形線は運転手のほかに職員が5人も乗り込んで、運転していた職員にいろいろと指導したりしていた。
「この試験に落ちたら明日からおまえの仕事はないぞ」というようなことを一番偉そうな人が云っていた・・・らしい。
“らしい”というのは山形弁が殆ど聞き取れなかったからだ。
雰囲気からそんな感じだろうと思ったのだ。
北山形は新庄から17番目の駅。
北山形で降りようと思ったのだが駅の数は多いのに電車が全く止まっている様子がないのでそのまま山形まで行く。
その判断は正しかったようで、山形駅にはいろいろな電車が止まっていた。
左沢線のフルーツライナーという愛称のキハ110系の画像もgetする。
因みに「左沢」は「あてらざわ」と読む。
12:44の仙山線12号で仙台を目指す。

※写真:新庄駅に停車中の719系と400系新幹線 撮影時刻 2001/04/22 10:52:44

Date: 29 Apr 2001 10:01:47


 10.牛タン弁当

仙山線は途中山寺を通る。
山寺は仕事関係の得意先の旅行で一度行ったことがあるが、
かなりヘヴィーな山道を登ったように記憶している。
頂上についてヘトヘトになってしまった。
約1時間で仙台に着く。
仙台駅での乗り換え時間は54分で、この間にいろいろ電車の写真を撮る。
地下にある仙石線の乗り場まで降りていって、103系の写真も撮ってきた。
ここでも電車の写真を撮るのに夢中になり、昼食を喰っている暇がなくなってしまった。
そこで仙台駅で売っていた駅弁、牛タン弁当\1,000を買って新幹線の中で喰うことにする。
予約を入れていた指定席は仙台14:37発、Maxやまびこ46号、2階14号車28番E席である。
しかし入線してきたMaxやまびこのE4系は8両編成で14号車がない。
これには途方に暮れてしまった。
発車の時刻が近づいている。
兎に角車両に乗り込んで後は車掌にでも聞こうと思った。
しかし5分前になって新たに8両編成のE4系が入線してきた。
ここで連結して東京に向かうのである。
連結を切り離すことはずっと考えていたが、切り離すことがある以上、繋げる作業もある筈である。
ここで連結作業を見ながら写真を撮っていたら発車のベルが鳴ってしまった。
連結作業が終了したら直ぐに出発である。
また慌てて飛び乗って車両の中を移動して14号車まで行く。

E4系は1997年に登場したJR東日本では最も新しい新幹線で、
オール2階建ての“Max”のニューバージョンといえる。
ブルーとホワイトのツートンカラーでラインの色はイエローである。
車内には昇降機も用意され、車椅子の利用に利便を図っているほか、
この昇降機のおかげでワゴン販売も可能になった。
先端部がカモノハシを連想させるユニークなデザインになっている。

席に着いて2階のちょっと高い位置から車窓を見ながら、牛タン弁当を頬張る。
箸が直ぐに折れて、何だか箸の持ち方を知らない子供のような格好で牛タン弁当を喰う。
駅のkioskで買った500mlの缶ビールも飲む。
この牛タン弁当は下の部分に化学反応で発熱する素材が入っていて、
紐を引くと発熱するようになっている。
暖かい弁当が喰えるというわけだ。
しかしその仕組みに気付いたのは大半を喰い終わってからだった。
弁当の包み紙の注意書きを読まずに喰ったのがいけなかったらしい。
ビールを飲んだせいもあってそのままウトウトと寝てしまった。

※写真:牛タン弁当とビール 撮影時刻 2001/04/22 14:41:33

Date: 29 Apr 2001 10:04:36


 11.旅の終わり

ふと目が覚めるとちょっと変な臭いがする。
何かが燃えているみたいだ。
よく見るとさっき喰った牛タン弁当が原因みたいだ。
喰い終わったにもかかわらず紐を引いてしまい、発熱が始まってしまった。
それに気付かずに買った時に入れてくれたビニールの袋に入れたものだから、
熱でビニールが溶けだしてしまった。
それが異臭の原因だった。
慌てて取り出したが既にビニールの袋には穴があいていた。
早く気付いたから良かったものの、
うっかりしたら「東北新幹線で異臭騒ぎ!原因は牛タン弁当の発熱剤!」等という新聞記事になってしまうところだった。
発熱した牛タン弁当を冷ましながらまたウトウト寝てしまう。
目が覚めたら高崎だった。
そこからぼうっとしながらこの旅のことを考える。
電車の写真を撮るためだけの旅。
そこには観光は全く含まれていない。
疲労に堪えながらシャッターを押し続けた2日間。
新幹線は東京に向かって走り続ける。
ここですがわらやすのりの「旅の終わり」という唄を思い出した。
「こんな辛い旅なんか、もう嫌だ、旅を終わろう、汽車に乗ろう~」って、既にもう乗っ取るじゃない か!

※写真:旅の終わり 撮影時刻 2001/04/22 16:54:16

Date: 29 Apr 2001 10:07:28


 12.ネクスト

東京駅には16:36p.m.に到着する。
ここで総武線快速に乗って帰ろうと思ったが、どうも物足りない。
まだ終わりにしたくない気がしてきた。
さっきまでは疲労感にもう帰りたいと思っていたのだが、ここでやっと終わりとなると、まだだという気がしてくる。
そう確信して京葉線の乗り場へと降りていった。
ここから房総方面の特急が出ている筈である。
183系の国鉄色のままの特急である。
17:30p.m.発のさざなみ9号に間に合う。
指定席は取っていなかったが、土日きっぷの範囲内なので自由席には乗れる筈である。
館山行きだが最初の停車駅の蘇我まで行こうと思う。
乗り込んで出発を待っていたが発車5分前になって隣のホームに武蔵野線直通の京葉線府中本町行きが入線してくる。
武蔵野線は殆どが103系だが、中には新規投入された205系もある。
丁度隣に入線してきたのがその205系だった。
京葉線と同じ新タイプの正面デザインである。
これは撮影しなければならないと思い、183系の特急に乗るのは諦めて、この205系に飛び乗る。
東京駅では地下なので巧く撮 影することが出来ないと思い、そのまま乗り込んで地上に出るのを待った。
地上に出ると、少し日は傾き掛けていたが、光量はまだ充分にある。そのまま西船橋まで乗っていって撮影する。
結局2日目にOLYMPUS CAMEDIA E-10で撮影した画像は111枚だった。
しかしそれにしても0泊2日で長野、上越、山形、
東北の各新幹線のフリーエリア内を完全走破するということは、無茶苦茶で御座いまちゅる!

※写真:東京駅地下に停車している183系特急「さざなみ」 撮影時刻 2001/04/22 17:11:20

Date: 29 Apr 2001 10:10:37


 ※「テーマの果実の樹」2001年4月テーマ「無茶苦茶で御座いまちゅる」より改題及び改稿

初出:ASAHIネットの電子フォーラム、serori・network「テーマの果実の樹」




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