好きやねん、大阪−浪速の魔の力




 1.バースディ割特

初めてこの企画を知ったのは、確かJRの駅の壁に大きく掲示されていた広告ではなかったかと思う。
誕生日から2週間以内だったら、日本国内何処でも一律10,000円。
これは凄い企画だと思う。
割引対象が誰にでもある誕生日というものに目を付けたこと、
そして10,000円という、思い切った価格設定にしたこと、
これはデフレによる価格破壊の波の中でもエポックメーキングな事でないかと思う。
この企画を打ち出したのが日本エアシステム、通称JASである。
早速JASのホームページにアクセスし、企画の内容を確認した。

   −バースディ割特−

  搭乗3週間(21日)前までにご予約・購入すれば一区間片道10,000円
 設定期間 2001年8月21日〜12月26日、2002年1月5日〜3月31日
 適用路線 JAS国内全路線等

    利用条件
 ● 利用対象期間:誕生日を含む誕生日以降15日間。
 ● 本人のみまたは本人と同一便に搭乗する同行者1名様まで。
 ● 航空券購入時および搭乗時に、
   誕生日を証明する顔写真付き公的書類の提示が必要。
 ● 搭乗の2ヶ月前から21日前(3週間前の同曜日)までに予約のうえ、
   予約日を含め6日以内に航空券を購入。

今まで飛行機で旅行したことは何度もあるが、
全て旅行会社や会社の後輩に手配して貰っていたので、
自分でチケットの申し込みなどしたことがない。
しかし今はインターネット経由でチケットが申し込めて、
しかもチケットレスで事前にチケットを受け取らなくても、
カード引き落としにすれば当日カードを機械に差し込んで発券できる。
これは便利だ。
今までJR東日本の土日きっぷを使って鉄道車両の取材をしていたが、
この割引チケットを上手く利用すれば、
JR東日本の以外の鉄道車両の取材が出来るかも知れない。
JRが国鉄から分割民営化して約15年が経つ。
既に独自の車両が開発されている筈である。
JR北海道、JR西日本、JR四国、JR九州といろいろと検討したが、
首都圏と並んで一番運行車両が多いと思われるJR西日本の取材を決行しようと思う。
インターネットでいろいろと調べているうちに、
このチケットを利用した旅行プランをいつの間にか考え始めていた。

※写真:バースディ割特を告知するJASの広告看板 撮影時刻 2001/09/09 19:34:32
※資料画像

Date: 15 Sep 2001 12:56:21


 2.旅行プラン

バースデイ割特は誕生日を含めて15日間が有効期限。
カレンダーで確認すると、林檎乃麗の誕生日の9月7日、今年は金曜日。
その15日間だと9月21日までが有効期間となる。
つまりその期間の土日は8日、9日と15日、16日。
そのどちらかが旅行決行日になる。
今回の旅行では鉄道写真の取材に加えて、もう一つの取材対象を設定した。
それは「林檎乃麗写真館」での企画であるプロ野球のフランチャイズスタジアムの取材。
大阪にはパリーグの大阪近鉄バファローズのフランチャイズである大阪ドームがある。
早速検索エンジンで近鉄バファローズのホームページに行き、試合日程を確認する。
本当は応援している西武ライオンズの試合があればベストなのだが、
残念ながら西武ライオンズの試合予定はなく、
しかも14日〜16日はバファローズはロードに出ていて、
神戸でオリックス戦となっている。
7日〜9日はホークスを迎えてホームでの試合になっているので、
大阪ドームを取材するなら日程は8日、9日にするしかない。
8日の土曜日は2:00p.m.から試合開始になっている。
試合を約3時間鑑賞する予定で日程を組んでいくことにする。
JASのホームページでフライト予定を確認する。
まだこの時点では9月以降の日程は未定だということだが、
今の予定のままだと、09:30羽田発203便がいいと思う。
約1時間で大阪に着く。
これなら家を出る時間もそんなに早くなくて済むし、
空港で飛行機の写真を撮る時間も取れる。
翌日は次の日の仕事に負担をかけないようにあまり遅くならない便が良いだろう。
そこで18:00に伊丹を出る便にする。
これで大まかな日程が決まった。
8日06:30羽田発JAS203便で伊丹に行き、空港リムジンバスで新大阪へ。
1:00p.m.まで鉄道写真の取材をし、大阪へ出て、大阪環状線の大正駅へ。
徒歩で大阪ドームに行き、試合を鑑賞し、その後再び新大阪に戻り、鉄道写真を取材。
1泊して次の日は飛行機の時間まで徹底的に鉄道写真の取材をする。
大阪近郊の鉄道車両に関する情報を収集するため、検索エンジンでいろいろと調べている最中に、
新大阪のビジネスホテルのホームページを見つける。
シングル1泊6,500円のところをインターネット経由で申し込むと5,900円になるという。
ここもチケットが取れた段階で申し込むことにしよう。
JRでは予約は1ヶ月前だが、飛行機の場合は2 ヶ月前から予約出来る。
9月8日の2ヶ月前、7月8日になったら早速チケットを予約しよう。
初めてバースディ割特を見つけて、すぐにネットで調べた時にはそう考えていた。
しかし今回の大阪旅行はそう簡単にはいかない。
ホームページで申し込む前から試練が待ち受けているのであった。

※写真:大阪ドーム全景 撮影時刻 2001/09/08 16:44:50
※資料画像

Date: 15 Sep 2001 13:03:47


 3.75日間モニター乱調事件

2001年6月18日、突然パソコンのモニターが乱れる。
最初は簡単に修復出来ると思っていたが、
ドライバの修復や入れ替えでもダメ、モニターを買い直してもダメで、
結局ビデオボードそのものを交換することになってしまった。
ビデオボードの交換から更にこのビデオボードにあったドライバを入れるまでに75日間もかかってしまった。
7月8日はまだモニターも買い換えていない段階で、どうして良いのか途方に暮れている時であった。
色調は乱れ、赤はオレンジに発色し、濃い色は潰れ、黒や黒に近い色は左右に擦れたみたいになってしまう。
そのためホームページの細かな文字は良く読めない。
そんな中でも何とかJASのホームページにアクセスし、チケットを申し込む。
7月7日に会員登録し、8日には9月8日分のチケット、東京09:30発−伊丹10:30着203便を、
バースディ割特で10,000円、更にインターネット予約のために2%引きで9,800円になる。
同じく7月9日は会社から帰ってきてから直ぐに9月9日分の伊丹18:00発−東京19:05着208便を申し込む。
こちらは既に夜になっていたためか、席数 残少数になっていた。
危ないところだった。
翌日には以前見つけて置いたヴィアイン新大阪のホームページにアクセスし、シングル1泊を申し込む。
細かな字は読めないため、その都度画面をプリントアウトし、あたりを付けて書き込みをする。
手探り状態で、比喩ではなく全く本当に手探り状態で何とかチケットをgetし、ホテルをリザーブする。
結局モニター乱調は75日間も続き、完全復活したのは8月2日だった。

※写真:ビデオボード交換作業中のGateway PERFORMANCE 750 撮影時刻 2001/07/29 14:03:39
※資料画像

Date: 15 Sep 2001 13:07:11


 4.誕生日パーティ

8月2日にモニターかが完全復活してから、本格的に検索エンジンを使って詳しい日程を検討し始めた。
特に“えきから時刻表”というホームページは便利で、全駅の時刻表が車両別、路線別に乗っている。
これによって詳しい取材スケジュールが組める。9月に入ってからは更に詳しく最終予定を決定していった。
しかし8月後半に入って急に9月7日に予定が入ってしまった。
この日は林檎乃麗の誕生日なので、
池袋のメトロポリタンホテルで100人を集めて誕生パーティを開くことになった・・・と云うのは勿論冗談で、
この日は仕事関係のメーカーの研修会で、勿論研修会というのは税金対策的な呼称でその実は計画達成パーティーであった。
本当は次の日早く出たいので、前日は大人しくしていたかったのだが、仕事ではそういうわけにも行かない。
なるべく飲み過ぎないように努力しないと、次の日寝過ごして飛行機に乗れなかったというのでは洒落にならない。
今回の旅では次から次と問題が吹き出てくる。
しかしこのパーティ参加は自分で気をつければ何とか回避出来る問題である。
しかし自分の努力では全く回避出来ない問題が突然吹き出してしまった。

※写真:メトロポリタンホテル池袋 撮影時刻 2001/09/07 21:13:04

Date: 15 Sep 2001 13:11:38


 5.告別式


9月6日、大阪旅行の2日前に突然訃報が入ってきた。
自分が担当する得意先で一番売上が大きい、
会社にとってもたぶん業介全体にとっても非常に大きな取引先の前任の担当者が4日に亡くなっていた。
通夜は身内だけで済ませていたものの、告別式は8日の土曜日に行われることになっていた。
担当者としてこの告別式には参加しなければならない。
亡くなった人には申し訳ないけれど、なにも人の旅行の予定に会わせて死ななくったっていいじゃないか!
林檎乃麗にとっては初めての大阪進出なのだ。
この機会を無くしたら次に何時いけるか分からなくなる・・・。
告別式の予定は次の通り。

 告別式 平成13年9月8日(土)
     11:30a.m.〜0:30p.m.
 場所  埼玉県所沢市北原1282
     所沢市営斎場
     (西武新宿線 航空公園駅よりタクシー基本料金内)

告別式に参加してから直ぐに東京に行き、一番早く大阪に行ける新幹線に飛び乗る。
そうすれば夕方には大阪に着ける。
駅すぱあとで調べたところ、航空公園駅から高田馬場までは乗車時間35分。
西武新宿駅では乗り換えに不便なので高田馬場でJR乗り替える事にする。
合計で53分と表示されている。
告別式が終わって直ぐにタクシーを手配するとして、
遅くても1:00p.m.までには航空公園駅までは行けるだろう。
そうすると2:00p.m.には新宿までは行ける。こ
こでトイレで着替え喪服はコインロッカーに入れ、会社の帰りに取り出して持って帰ればいい。
新宿から中央快速線で東京までは正味14分。
乗り替え時間を考えても2:30p.m.には東京駅新幹線乗り場まで行ける。
新幹線の時間は以下の通り。

 14;38 東京発−18:37 新大阪着 ひかり159号
 14:45 東京発−18:47 新大阪着 ひかり161号
 14:52 東京発−17:26 新大阪着 700系のぞみ19号

14:38は時間的にちょっと無理かも知れないし、のぞみは全席指定なので指定席が取れるかどうか分からない。
それに経費削減の意味合いからも自由席で行くべきだろう。
と云うことで、ひかり161号に乗り込むことにして、新大阪には18:47に何とか着くということになる。
直ぐにチェックインすれば何とか夜の予定からは間に合うだろう。
大阪ドームの取材は残念ながら断念しなければならないが、
JR西日本の車両の取材は翌日に何とか一日で出来る。
9日の予定も変更して新大阪での取材を中心に予定を組み直さなければならないかも知れないな・・・。
そう思っていたが、7日になって退職して1年が経っているということで、
遺族の意向で取引業者の参列を辞退すると云ってきて、
うちの会社でもその意向に従って弔電だけ打つことにした。
こうして前日になってまた予定通り大阪旅行が決行出来ることになったのである。
今回の旅行は行くまでにいろいろなハプニングがあった。
しかし旅行当日になっても、そのハプニングはまだ続くのであった。

※写真:東京駅に停車中の100系新幹線 撮影時刻 2001/06/30 08:04:17
※資料画像

Date: 15 Sep 2001 13:18:02


 6.ホーム転落事故

何時も会社に行く時間に起床し、06:42幕張発の総武線で秋葉原へ。
幕張発の電車に関しては06:42から07:04までフレキシブルな予定を立てていたが、思ったよりも早く家を出られた。
この分なら羽田でゆっくりと飛行機の撮影が出来るなと思った。
7:20a.m.頃、突然新小岩駅で停車中に浅草橋駅で人が駅から落ちたため暫く停車すると車内アナウンスがあった。
しかし幸い新小岩ならば快速の停車駅なので暫く動かないなら快速に乗り換えようかと思った。
だか、構内アナウンスによると快速電車も止まっているという。
原因は「あずさ」だった。
「あずさ」は基本的には新宿を出発し中央本線を走る特急だが、
一部は千葉駅を始発する車両もあり、
平日通勤する時は何時も幕張駅に停車中の183系回送車両を見かける。
これは幕張電車区から千葉まで回送され、千葉駅始発の「あずさ」となる。
千葉駅から快速線の路線を通り、錦糸町まで行く。
しかし総武快速線は錦糸町を出ると地下に入り、馬喰町などを通りながら東京駅では地下ホームに入る。
東京から横須賀線となり、新橋などは地下で接続しながら品川で再び地上に出て くる。
そのため中央快速線とは同じ東京駅を通過しながら、地下駅と地上駅で接続がない。
そこで千葉発の「あずさ」は錦糸町から緩行線の線路に入り、
両国、浅草橋、秋葉原は緩行線の線路を走って御茶ノ水で中央快速線の線路に入るのである。
その「あずさ」が錦糸町駅に停車中にこの事故が起こり、そのため快速線も不通になってしまった。
しかし幸い人身事故にはならず、7:28a.m.、12分遅れで再び動き出した。
秋葉原では07:49の山手線に乗る。
山手線はフレキシブルな予定の07:25から07:54の7つのダイヤの内、タイムリミットからひとつ前のダイヤだった。
浜松町でもタイムリミットのひとつ前の08:06の東京モノレールに乗車。
東京モノレールは22分をかけて羽田空港の地下に滑り込んだ。

※写真:千葉駅に停車中の特急「あずさ」国鉄色ヴァージョン 撮影時刻 2001/07/14 06:42:27
※資料画像

Date: 16 Sep 2001 22:57:18


 7.展望台

モノレールを下りてからまずJASの搭乗カウンターの位置を確認し、
そのままビッグバードの最上階へ。
そこから屋上の展望台に行く。
時間は遅くなってしまったが、それでも20分は撮影時間が取れた。
ここで乗客を乗せるために待機している飛行機や、
フライト準備のために移動している飛行機の写真を撮る。
離陸する飛行機や着陸する飛行機の写真も撮るが、
距離がありすぎて今ひとつ迫力に欠ける。
それでも充分いい写真が撮れた。
ここには前回パセロリの吾妻橋/恵比寿ビアオフでパスタさんを送りに来た時に一度来ている。
しかしあの時は夜になっていて、上手く撮影することが出来なかった。
やっぱり夜間の撮影には三脚がないと無理なのだ。
フライトが09:30なので、撮影のタイムリミットを9:00a.m.に設定して置いた。
そして予定時間の少し前に撮影を完了して出発ロビーへと向かった。

※写真:羽田空港ビッグバード屋上から撮影した日航機 撮影時刻 2001/09/08 09:03:26

Date: 16 Sep 2001 22:59:27


 8.パスタさんが教えてくれたこと

今回はインターネットで申し込みをして、
カードで精算するというチケットレスサービスを利用してチケットをゲットしたのである。
そのためまず支配に使ったクレジットカードを自動カウンターに差し込み、発券しなければならない。
その後発券されたチケットで、カウンターで搭乗手続きを取るのである。
最初搭乗手続きをせずにゲートに並び、怒られてしまった。
その後再び搭乗手続きのカウンターに並び直すが、
ここがすごい行列で待っている間にどんどん時間が過ぎていく。
そして見る見るうちに搭乗開始時刻になってしまう。
そこで出発間近のお客様線用のカウンターに並び直し、そこで搭乗手続きをして貰う。
バースディ割特を使っているので、免許証を見せて誕生日の確認をする。
そして無事搭乗手続きが済んだ。
危ないところだった。
パスタさんが教えてくれたこと。
それは搭乗手続きは余裕を持って行うこと。
その事を前回のオフで身を以て示してくれた。
しかしその教訓は生かされなかった。
しかしギリギリで搭乗手続きが済み、ゲートをくぐる。
最初は手に財布を持ったままだったのでピンポンがなってしまっ たが、
財布を渡して再びくぐったら今度はOKだった。
動く歩道を走って何とか搭乗口に行く。
既に搭乗口には客の姿がなく、慌ててスタッフにチケットを託して搭乗する。
結局、おいらの搭乗を待ってJAS203便は羽田を出発するという形になった。

※写真:搭乗口を接続しているJAS203便 撮影時刻 2001/09/08 09:29:21

Date: 16 Sep 2001 23:01:26


 9.プロカメラマン

今回の席は禁煙席17Aというところ。
つまり右側の窓際というところである。
これはインターネットで申し込む時に窓際を希望したのである。
その理由はひとつ、窓からの景色を撮影したいためである。
一番遅れて搭乗したために、隣には既にお客さんが乗っていた。
そのお客さんに立って貰い、着席する格好になる。
飛行機が飛び立つまでの間、窓から見える空港の景色を撮影していたら、
隣に座っていた男が、OLYMPUS CAMEDIA E-10を見て「すごいカメラですね。プロの方ですか」と声をかけてきた。
「いえ、これはデジカメなんです」と答える。
そうすると余計に興味を持ったらしく、OLYMPUS CAMEDIA E-10を眺めていた。
確かにOLYMPUS CAMEDIA E-10のごつさを見たら、ちょっとデジカメには見えない。
一般的にデジカメというとコンパクトさが売りになる。
フイルムを入れる必要がない分、小型化出来るので、
そのメリットを生かした製品作りがなされるからだ。
しかしOLYMPUS CAMEDIA E-10はその全く逆のコンセプトで、
携帯性など犠牲にしても、大口径の大型レンズを搭載し、画質を重視した作りになっている。
これを持っていたら、デジカメに詳しくない人はプロカメラマンと勘違いしてしまうのは仕方がないのかも知れない。
飛行機が飛び立つまで、隣の男の人といろいろデジカメやカメラのことについて話をしていた。

※写真:JAS機の機内から見た羽田空港の様子 撮影時刻 2001/09/08 09:33:50

Date: 16 Sep 2001 23:03:31


 10.taking off

そして飛行機は滑走路にゆっくりと移動し、離陸の時を迎える。
それまでゆっくりと移動していた飛行機は一瞬車内に静寂をもたらし、
それからエンジンをグォーンと加速し、機体を奮わせながら一気に飛び立っていった。
それは何故か走り棒高跳びの選手を連想させる。
制止しているところから一気に助走して、そしてエイヤッーと飛び上がる。
体に心地よいGを受けながら、飛行機の飛び上がる瞬間を待ちわびる。
この瞬間が飛行機の中でも一番好きだ。
「あがった!」思わず声が出そうになるくらい、この瞬間は感動する。
風に乗って飛び立った飛行機は高度を上げつつ、旋回しながら、目指す大阪に向けて進路を取る。
JASのレインボー777では、シートのところに小型のモニターが整備されていて、
モニターで飛行状況が確認出来るほか、音楽などもプロモーションビデオを見ながら鑑賞出来る。
やがて機内サーヴィスでコンソメスープが配られた。
考えてみたら電車の遅れと搭乗手続きに思ったよりも時間が取られたことにより、
朝食を喰っている暇がなくこのコンソメスープが今日は初めて口にした物だった。
コンソメスープは空腹に心地よく、胃酸の分泌を促進して更に空腹感が募る。
大阪に着いたらとりあえず朝食を喰おうと思った。
飲み物をスチュワーデス・・・改め、キャビンアテンダントのお姉さまが配り始めた頃には既に予定の行程を半分達していた。
そして搭乗から1時間後、10:30a.m.には大阪の伊丹空港に着陸していた。

※写真:JAS203便の機中から見た伊丹空港 撮影時刻 2001/09/08 10:45:06

Date: 16 Sep 2001 23:04:42


 11.空港リムジンバス

伊丹空港でJAS203便を下り、まず朝食を取ろうと思って到着ロビーを下りて外へ出てみた。
しかし大抵の空港がそうであるとおり、空港を出ると商店街が広がったり、
コンビニがあったりと云うことはなく、下りたところには空港リムジンバス乗り場しかなかった。
そこで先に空港バスに乗ることにする。
伊丹空港から新大阪までは\490。
事前にネットで調べたところでは、北ターミナルの3番乗り場からは11:00と11:20、
南ターミナルの13番乗り場からは10:55と11:45で、
乗ってから気付いたのだがこれは先に南ターミナルの13番乗り場で客を乗せた後、3番乗り場に来るのだ。
約20分近く待ってリムジンバスが来る。
伊丹空港から25分間で新大阪駅に着く。
途中、道路の真ん中に鉄道が走っているのを見かける。
後で調べたのだが、新御堂筋の中央分離帯の部分に北大阪急行電鉄が走っている。
普通は道路の下とか高架で走っているところはあるのだが、
中央分離帯の真ん中に自動車と同じ高さで走っている電車というのは珍しい。
11:25a.m.過ぎに新大阪駅で下車する。

※写真:空港リムジンバス3番乗り場 撮影時刻 2001/09/08 10:49:48

Date: 19 Sep 2001 01:04:53


 12.カレーステーション“ウィンティス”

新大阪駅に到着して駅の中に入ったのが11:30a.m.でまだ朝ご飯食べていない。
そこで構内にあるカレーステーション「ウィンティス」という店に入った。
オーダーはビーフカレー650円。
特別美味くもなく、かといって不味くもないありきたりの味だった。
しかし空腹にいきなりカレーを喰ったので汗が噴き出てきてしまった。
本当はビールを飲みたいと思ったが、これから撮影をしなければいけないので我慢する。
Jスルーカードを購入して入場する。
Jスルーカードはきっぷを買わずにそのままカードを入れると入場出来るもので、下車駅で精算する。
JR東日本ではiOカードに当たるものだろう。

※写真:JR新大阪駅内にある「ウィンティス」 撮影時刻 2001/09/08 11:49:10

Date: 19 Sep 2001 01:06:08


 13.JR西日本車両事情

駅を下りていくといきなり空港特急「はるか」が入線してきた。
慌ててシャッターを切る。
国鉄が分割民営化して既に15年近く立つ。
201系や205系など国鉄時代から運行されていたり、
国鉄時代に開発されていた車両はJR東日本とJR西日本では共通に運行されているが、
分割民営化以降は独自の車両開発がされていて、
関西空港アクセス線用の281系「はるか」を始め、
485系「雷鳥」の置き換え車両として搭乗した681系「サンターバード」や「スーパーくろしお」の改良型、
283系「オーシャンアロー」など、新型の特急も活躍している。
また在来線も、207系、221系、223系と独自の車両が開発されている。
他に485系や183系と共通の外見を持つ381系「くろしお」や、
「くろしお」のリニューアル車両「スーパーくろしお」、
それとJR東日本にもある車両で、183系の「北近畿」や「文殊」、485系の「雷鳥」などがある。
今回大阪に行って初めて知ったのだが、
485系「雷鳥」は先頭車両がボンネット形の481系もまだ現役で走っていた。
この車両を撮影出来ただけでも大阪旅行に行った甲斐があったというものだ。
それとJR東海の乗り入れ車両キハ85系「ひだ」や、
智頭急行の乗り入れ車両HOT7000系「スーパーはくと」や北近畿タンゴ鉄道のKTR001形気動車など、
撮影モチーフには困らない。
タイムリミットの1:00p.m.まで、新大阪で鉄道車両を撮影しまくる。

※写真:JR西日本で初めて撮影した車両「はるか」 撮影時刻 2001/09/08 11:56:45

Date: 19 Sep 2001 01:08:05


 14.大阪ドーム

タイムリミットの1:00p.m.を迎えると、そのまま電車に飛び乗って大阪駅に向かう。
大阪駅で大阪環状線に乗り換えて大正駅へ。
ゆめ咲線に乗ってしまったので西九条駅で乗り替える。
今回の旅行のひとつの目的はJR西日本の車両を撮影することだが、
もう一つの目的は大阪ドームの取材をすること。
ダイエーホークス対大阪近鉄バファローズという天王山対決で、
大阪ドームに着いた時には既に外野自由席は売り切れで、
内野自由席2,200円を購入して入場するが、それでも3階席になってしまった。
そこで試合を観戦しつつ、大阪ドーム内を撮影する。
ダイエーが先制し、それに近鉄が追いつくがまた引き離されるという乱打線で、
結局ダイエーが9−8で試合を制した。
本当は最後まで待ていたかったのだが、取材をしなければならなかったのと、
17:47に大阪駅で「日本海」という夜行列車の取材をしなければならないということで、
途中で切り上げて撤収する。
席では勿論ビールを飲んじゃったけれど、既に時間が遅かかったため、弁当は売り切れになっていた。
結局昼食を取ったのは、17:47の「日本海」の取材が済んだ後だ った。

※写真:大阪ドームのダイヤモンド 撮影時刻 2001/09/08 14:20:02

Date: 19 Sep 2001 01:09:26 +0900


 15.ヴィアイン新大阪


昼食は大阪駅環状線ホーム内の「ShiOya」という立ち食い蕎麦屋さん。
ここでざるそば+カレー丼セット喰う。
カレー丼は如何にも蕎麦屋のカレーという味付けだった。
この後新大阪に戻り、少し鉄道車両の撮影をしてから、
今夜の宿としてインターネットで予約しておいた「ヴィアイン新大阪」に行く。
シングル5,900円+295を前払い、カードで支払う。
部屋は9階の1902だった。
自販機でポカリスエットを購入し、水分を補給してから早速シャワーを浴びる。
炎天下での撮影でTシャツはビチョビチョになってしまっていた。
汗が体にまとわりつき、それが乾いて塩分が結晶となっている。
そのまま集めれば天然粗塩が作れるんじゃないかと思った。
シャワーを浴びてスッキリしたところで新しいTシャツを着て、再び街に出る。
夜はジョンレノンイラスト柄の長袖Tシャツ。

※写真:ヴィアイン新大阪 撮影時刻 2001/09/08 18:06:56

Date: 19 Sep 2001 01:10:30 +0900


 16.「らーめん風土記」



7:00p.m.前にはフロントにキーを預けて新大阪の街に出る。
新大阪の駅周辺を歩き食満彩うまい横丁/味の小路という飲食店街の中にある、
「らーめん風土記」というラーメン専門店にはいる。
オーダーは味噌ラーメン+中華丼800円。
この店はチャーシューがバラ肉ともも肉のどちらかを選べるようになっている。
もも肉の方をオーダーしてみた。
麺は今ひとつだが、味噌味のスープは濃厚で好感が持てる。
昼食が遅かったせいか、ちょっと喰い過ぎの気味がある。
ここは更高菜とキムチが取り放題。
夜は入場券で再び新大阪駅構内に入場して、夜行列車を中心に撮影する。
店を探すのに少し手間取ってしまったため、20:22発の「なは」は撮影が間に合わなかった。

※写真:新大阪駅地下にある「らーめん風土記」 撮影時刻 2001/09/09 10:09:12
※資料画像

Date: 23 Sep 2001 11:52:23 +0900


 17.夜間撮影

撮影に間に合わなかった寝台特急「なは」は20:22新大阪発。
そのあとに福知山線を走るタンゴエクスプローラーという、
新大阪から宮津、久美浜方面に走る北近畿タンゴ鉄道の気動車を撮影、
更に20:48発の寝台特急「あかつき」、21:26のJR東海所属のワイドビュー「ひだ」などを撮影する。
大阪は東京と並んで夜行列車の始発駅としていろいろな車両が走っている。
入場券で入場していることから、途中で新幹線のホームにも上がり、新幹線も撮影する。
700系レールスターなどを撮影する。
10:00p.m.まで撮影し、コンビニでポテチ買ってホテルに戻る。
ホテルの自販でビールを買い、ちょっと一口飲んでからシャワーを浴びて、
残りのビールをポテチを摘みながら飲む。
6:45a.m.にアラームをセットし、11:25p.m.に消灯する。
最初は昼間の興奮でなかなか寝付けないなと思っていたが、
昼間の疲弊が蓄積していたのか、寝付けないな・・・と思った瞬間には深い眠りについていた(-_-)゜zzz…

※写真:新大阪駅を発車する寝台特急「なは」の後ろ姿 撮影時刻 2001/09/08 20:32:50

Date: 23 Sep 2001 11:53:39


 18.グッドモーニング

6:45a.m.にアラームをセットしておいたのだが、何故か6::40a.m.には目が覚めてしまった。
早めに寝たためか、それとも疲弊の中で熟睡出来たためなのだろう、
睡眠は充分でシャワーを浴び、朝食は1階「はるか」というダイニングルームで、
用意されているパン、コーヒー、サラダをセルフサービスで食う。
更にコーヒーとサラダはお代わりしてしまう。
本当はパンもお代わりしたかったのだが、
それではまるまる二人前を喰うことになってしまうのでパンのお代わりはやめる。
なんて慎ましやかなおいら(^_^;)
昨日使ってしまったバッテリーも充分充電出来たし、8:00a.m.にはチェックアウトする。
今日は飛行機の時間まで思いっきり鉄道写真の撮影三昧だ。
まず入場券で入場して2時間新幹線の撮影をし、
タイムリミットが来たら一度改札を出てJスルーカードで入場し、
少し在来線の撮影をしてから新大阪へ行き大阪環状線を回りながら、
西九条、ゆめ咲線でユニバーサルシティ、桜島、
再び大阪環状線へと戻って今宮、天王寺、京橋と回って大阪に戻り、
新大阪で時間まで取材をして、4:00p.m.には空港リムジンバスに並ぶことにしよう。
しかしこの計画は早くもうち砕かれることになるのであった。

※写真:充電中のデジカメのバッテリー 撮影時刻 2001/09/08 22:32:53
※資料画像

Date: 23 Sep 2001 11:56:37


 19.信号故障事故

まずは昨日購入したJスルーカードで入場件を購入し、新幹線のホームに上がる。
今回の大阪旅行の取材でどうしてもgetしたかったのが、0系新幹線の画像である。
JR東海管区の東海道新幹線では既に0系新幹線は廃止されてしまっているが、
JR西日本管区の山陽新幹線ではまだ“こだま”として運用されている。
入場して慌ててホームへ駆け上がったのだが、8:03a.m.のこだま609号は既に発車時間が迫っていた。
慌ててシャッターを押す。
次の“こだま”は8:21a.m.だったがこれは300系が使われていた。
仕方がないので9:16a.m.のこだま615号まで待とう。
その間に8:32a.m.の500系のぞみや8:56a.m.のひかりレールスターを撮影しておこう。
そう思っていたが500系のぞみを撮影したあたりで突然信号機故障でダイヤが乱れると構内アナウンスが入った。
結局一部は動き出したものの、ダイヤは大幅に乱れているとのこと。
これでは事前にインターネットで調べておいた撮影スケジュールはこなせない。
悩んだ挙げ句、撮影スケジュールを大幅に変更することにする。
残りの1時間を在来線の撮影に使い、
予定通りに大阪、西九条、ゆめ咲線のユニバーサルシティ、桜島と取材し、
大阪環状線の取材は諦め、新大阪に戻って再び新幹線の取材をする。
その時には何とかダイヤも元通りになっているだろう。

※写真:新大阪駅に停車中の0系新幹線 撮影時刻 2001/09/09 08:11:47

Date: 23 Sep 2001 11:58:07


 20.ストーカー疑惑

入場券の残りの1時間では特急電車を中心に、
いったん下車してJスルーカードでの入場では在来線を中心に撮影する。
在来線の撮影をしている時に中年の男が突然「何を撮っているんだ!」と声をかけてきた。
「電車の写真ですよ」と答えたが、「俺を撮っていただろう」と云い掛かりを付けてきた。
最初は単なる酔っぱらいかと思っていたが、
本人曰く「最近ストーカーに狙われていて、ここ最近6回も写真に撮られている。おまえも一味なのだろう」と云われる。
とんでも無い云い掛かりだと思ったが、
本人が「駅員のところへ行こう」というのでその方が問題の解決が早いと思ってふたりで駅員のところへ行くことにした。
男は「駅長室は何処だ」と云うので、
「東京から来たので知らない」というと、
「東京?それなら違うかもな・・・」と云ってそのままスーッと行ってしまった。
あれは何だったのだろう。
それは兎も角気を取り直して再び撮影開始。
新大阪での取材を完了して大阪駅に向かい、ここでもいろいろと撮影する。
大阪駅で下車して御堂筋口の取材をして再び入場する。
大阪駅の取材の最大のポイントは0:18p.m.発車の特急「はまかぜ」3号。
これはキハ181系という国鉄時代からある特急型気動車で、
この車両を撮影出来たのは大きな財産だった。
このあと大阪環状線のホームに行き、
ゆめ咲き線直通電車でユニーバサルシティを目指す。

※写真:大阪駅に入線してきたキハ181系「はまかぜ」 撮影時刻 2001/09/09 12:25:15

Date: 23 Sep 2001 12:00:44


 21.ユニバーサルシティ

大阪環状線の西九条駅からゆめ咲線に入ってユニバーサルシティへ。
この駅はその名の通り、大阪に出来たテーマパーク、ユニバーサルスタジオジャパンの最寄り駅で、
USJの客を目当てに近代的に作られていて、スタッフも女性職員を配すなどの配慮が見られる。
ユニバーサルシティでは下車して駅舎の撮影をする。
その後一端桜島まで行き、そのまま折り返して西九条まで戻る。
ゆめ咲線の西九条−桜島間はUSJの開業に合わせて、
103系をUSJのキャラクターなどのラッピングトレインが走っている。
このラッピングトレインの撮影をするのも大阪旅行の目的のひとつ。
大阪環状線はバーミリオンの103系が走っているが、
ラッピングトレインはさすがに目立っている。

※写真:USJのキャラクターのラッピングを施された103系 撮影時刻 2001/09/09 13:02:25

Date: 29 Sep 2001 16:14:34


 22.ふたつの観覧車

西九条で下車せずにそのまま大阪駅まで行く。
ここで2:00p.m.まで撮影し、新大阪に向かう。
大阪駅でビルの上に観覧車を発見する。
この観覧車は昨日飛行機で伊丹空港に下りてくる時に、
銀の光を放つ大阪ドームの次に目立っていた建築物で、
ビルの上に立っているように見えたがたぶん目の錯覚だろうと思っていたのだが、
今日改めてみるとやはりビルの上に観覧車が立っている。
こういう発想は関東人には不可能である。
恐るべし関西人。
大阪にはこの大阪駅から見える観覧車の他に、桜島駅から見える観覧車もある。
大阪にはふたつの観覧車がある。
新大阪で駅構内にある「浪速そば」で冷やしそば360円喰う。
そして一端Jスルーカードで退場し、入場券で再び入場する。
タイムリミットは4:00p.m.。
新幹線のホームに上がり、0系新幹線や700系ひかりレールスターなど、
予定していた新幹線車両を撮影し、残った時間を在来線の撮影に費やす。
新幹線のホームのJダイナーで缶ビール2本とツナマヨのおにぎり買い、
ベンチで喰いながら買った1本の缶ビールを飲む。
もう一本の神戸ビールは「REI RINGONO Presents Beers」のために持って帰ることにする。
タイムリミットの4:00p.m.まで鉄道車両を撮影しまくる。

※写真:大阪駅構内の「浪速そば」 撮影時刻 2001/09/09 14:10:10

Date: 29 Sep 2001 16:16:55


 23.ボトル缶

昨日乗った空港リムジンバスに乗って伊丹空港を目指す。
4:20p.m.のバスに乗るが、少し混んでいて予定より10くらい遅れの到着だった。
直ぐに搭乗手続きをする。
羽田ではすごい混雑だったが、ここでは直ぐに搭乗手続き出来る。
今度は発券して搭乗手続きを取ってから展望台に行く。
2階の飛行機の直ぐそばまで行ける展望台は5:00p.m.で入口が閉鎖になり、結局撮影出来ず。
5:00p.m.から5:20p.m.くらいまで、屋上の展望台で飛行機の撮影をする。
この後チェックゲートをくぐる。
今回は早くゲートをくぐりすぎたので搭乗口の前のベンチで少し休む。
ここでも窓越しの飛行機を撮影する。
時間があったのでキリンラガーのボトル缶買ってベンチで飲む。
この段階でOLYMPUS CAMEDIA E-10のCFカードの残は19枚になっていた。
18:00フライトのJAS208便に乗って東京を目指す。
予約されていた席は19Aの禁煙席で今回も窓際だった。
19:05に羽田に着く。
東京は雨が降っていた。

※写真:伊丹空港のロビーで買ったボトル缶 撮影時刻 2001/09/09 17:38:07

Date: 29 Sep 2001 16:18:29


 24.敗北宣言

羽田で飛行機を降りて、京急で帰ることにする。
行きはモノレールで来たので帰りは気まぐれで京急で品川まで行き、横須賀線で帰ることにする。
パスネットがまだあったのでこれで入場して品川まで行く。
品川で下りる時に140円で下車する。
下車する時、パスネットの残高が足りない時には自動改札や乗り越し精算機は使えず、
駅員に精算して貰わなければならなかった。
定期を使い、160円でJRに入場する。
19:57品川発の総武線快速直通の横須賀線に乗って帰る。
既に8:05p.m.になっていたが、東海道線横浜駅で人身事故があったとのことで、
その影響が横須賀線にも出ているとのことで、品川を出てからも暫く停まっていて、
東京までたどり着いたのは8:25p.m.になっていた。
今回の旅行は行きと帰り、それに取材対象の新幹線までがダイヤの乱れで予定が狂ってしまった。
これも浪速に住む魔の力なのだろうか。
林檎乃麗にはまだ関西に来て鉄道写真を取材するというのは時期尚早と云うことなのだろうか。
そう浪速の魔の力が云っているとしたら、それは全くその通りなのだ。
結局1泊2日でJR西日本の大まかを取材しきるつもりでいたのに、
結局大阪環状線の半分も取材出来なかった。
林檎乃麗は負けた。
JR西日本に負けた。
関西人に負けた。
そして浪速に住む魔の力に負けた。
完全な敗北だった。
まだ林檎乃麗は関西に殴り込みをかけるには非力だった。
無能だった。
思った通りの取材も出来ずに逃げ帰ってきた。
さよなら大阪。
林檎乃麗はフォトグラファーとして、
そして人間として精進を積み、力を着けたらまたリベンジします。
それまでは負け犬としての汚名を負いながらJR東日本管区だけを取材対象にしてこっそりと生きていきます。
何時かまた大阪の地に立つことを夢見て・・・。

※写真:伊丹空港で翼を休めるLAS208便 撮影時刻 2001/09/09 17:39:03
※資料画像

Date: 29 Sep 2001 16:19:51


 25.LXさん

結局JR幕張駅に着いたのは9:18p.m.だった。
OLYMPUS CAMEDIA E-10用のCFカードの残はあと僅か3枚になっていた。
疲弊を抱えながら家に着くと、PHSが着信ありの表示。
告別式には参加しないことになったものの、
急に招集がかかることも考慮して今回はわざとPHSを忘れていったのだ。
案の定、着信ありになっている。
課長からの伝言が入っていると思っておっかなびっくり再生してみると、
そこには課長ではなく意外な人からの伝言が入っていた。
そこにはちょっとおどおどした感じのLXさんが夕食を喰おうと誘っていたのだ。
慌ててパソコンを立ち上げて、セロリの書き込みとメールをチェックする。
メールに8日の朝、このメールを見ていたら一緒に夕食を喰いましょうと誘っていてくれたのだ。
今回は告別式対策でPHSをおいていったのが裏目に出た。
あわててLXさんへのお詫びのメールを出す。
そういえば以前のオフ会の時に大阪旅行のことを伝えてあったし、
酔っぱらっていたから良く覚えていなかったのだけれど、
一緒に晩飯でも喰いましょうと誘ったような気がしないでもない。
それに前日のメールで大阪行きを伝えておいたので、
誘ってくださったのだろう。
結局メールもPHSも完全に無視する形になってしまった。
これも浪速の魔の力の悪戯なのだろうか。
ここでもまた浪速の魔の力に屈服することになる。
今度また大阪に行く時には、LXさん、その時こそはお会い致しましょう。

※写真:戻ってきた時のJR幕張駅 撮影時刻 2001/09/09 21:18:50

Date: 29 Sep 2001 16:21:02 +0900



 ※「テーマの果実の樹」2001年9月テーマ「大阪」より改題及び改稿

初出:ASAHIネットの電子フォーラム、serori・network「テーマの果実の樹」





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